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日本の“ビジュアル系”の元祖は誰だろう?本田恭章がジャパンの来日公演の会場でスカウトされたのは有名な話だが、YMOや一風堂がジャパンと同世代とするなら、その下の世代のTM NETWORKやBOφWY、BUCK TICK、さらにその影響下にあるLUNA SEAやGLAYといったバンドは、ニュー・ロマンティックから強い影響を受けているはずだ。
そもそもニュー・ロマンティックとは、音楽ジャンルというより、ファッションを含めたひとつのムーブメントだった。具体的には78年、ロンドンのクラブでの“ボウイ・ナイト”がその発祥といわれ、そこに集まってきた連中がやりはじめた音楽や、そのアーティスト達を総称してニュー・ロマンティックと呼ばれた。
パンク・ロックの嵐が落ち着き始めた78年頃、いつまでもボロボロの服でギター・コードをかき鳴らしているだけのパンクに飽きた連中が出てきても不思議ではない。“ボウイ・ナイト”を主宰していたビリー・ストレンジが、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージック等の70年代初頭のグラム・ロックに影響を受け、ファッショナブルな装いで始めたのがヴィサージというバンド。クラブの常連だったスパンダー・バレー、カルチャー・クラブ等がそれに続いた。
グラム・ロックの80年代版という側面から、新世代のロマン派(ニュー・ロマンティック)なわけで、音楽的にはシンセサイザーによるテクノ・ポップ(クラフトワークやYMO)の未来的なイメージと、クラブで受けるダンス・ミュージックが根底にある。
ニュー・ロマンティック・ブームが生んだ最大のスターは何といってもデュラン・デュランで、「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」や「セイヴ・ア・プレイヤー」といった曲がアメリカでもヒットし、世界的な人気を掴む。デュラン・デュランと人気を二分していたカルチャー・クラブや、特に日本で人気の高かったカジャ・グー・グーやパナッシュ、ABC、パンクからエレポップに転向してきたヒューマン・リーグやウルトラヴォックスも代表バンドといえる。ジャングル・ビートのアダム&ジ・アンツやハイ・エナジー・ユーロ・ビートのデッド・オア・アライブあたりまでニューロマ扱いされたのも面白いが、ブーム自体は80年代半ばには終息に向かう。
そして2000年に入り、かつてのスター・グループの再結成が続く中、ニューロマの系譜を継ぐバンドとして注目されているのが、大ブレイクしたフランツ・フェルディナンドやザ・ディパーチャー、フューチャーヘッズ、そしてアメリカ出身のシザー・シスターズなど。80年代の音楽が盛んにリバイバルしている今、その本命はニュー・ロマンティックかもしれない。(Text/遠藤哲夫) |
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80年に「To Cut A Long Story Short(早い話が・・・)」でデビュー。83年の「True」が4週連続で全英No.1ヒットとなり、大ブレイク。この曲は後に、P.Mドーンがグラウンド・ビートのネタに使ったことでも知られる。「Gold」も同じようなドラマティックなバラードで、ちょっと暑苦しいくらいが魅力。 |
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True >>試聴 |
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Gold >>試聴 |
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Communication >>試聴 |
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クラフトワークの影響が大きい、エレポップのはしりでもあるオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク。「Electricity」「Enola Gay(エノラ・ゲイの悲劇)」といった初期(80年)のヒットは今でもインパクトがある。映画『プリティ・イン・ピンク』の挿入歌「If You Leave」はかなりポップ。 |
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Enola Gay >>試聴 |
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If You Leave >>試聴 |
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Electricity >>試聴 |
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グラム・ロックを代表するグループとして72年にデビュー。奇抜なファッション、前衛的な音楽で時代の寵児に。5作目『サイレン』で一旦解散、第2期ロキシーのスタートを飾ったのが本作。「Dance Away」に顕著な、80年代を見据えたダンサブルなモダン・ポップはニューロマの音と繋がっている。 |
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Dance Away >>試聴 |
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Trash >>試聴 |
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Angel Eyes >>試聴 |
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