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ニュースのツボ

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山口百恵、松田聖子、安室奈美恵の中味

2007 / 8 / 6

▼作詞家の阿久悠氏が、がんのために70歳で亡くなった。昭和の歌謡曲の歴史そのものである氏の死去にあたって、NHKでは90分という長い時間を使って追悼番組を放送するなど、各メディアが追悼の意を示している。


 各メディアやメディア人たちが、追悼の意を表すなかで、ほとんど異口同音に言っていたのが、「いまの音楽はよくわからない」「みんなが共有できない」「いまのシンガーソングライターは、自分の狭い世界のことだけを歌っている」という内容のことだった。私は、テリー伊藤氏がしきりに「半径5メートル以内のことしか歌わないから」と嘆いていたのが、耳に残っている。

 私は1970年代に少女期を過ごしたこともあって、歌謡曲とフォークソングが根っこにある世代だ。あえて空前絶後といいたい永遠のアイドル、山口百恵の登場で歌謡曲に目覚め、引退で歌謡曲から離れていった世代である。いまでも、ドアーズのCDといっしょに山口百恵と坂本九が並んでいる。どんな戦後世代でもそうだろうが、私のような世代にとっては、阿久悠の詞が人生のさまざまなことを教えてくれた、といってもいいくらいだと思う。

 歌謡曲に思い入れのある一人として思うのは、1980年代に歌謡曲が廃れて空白の10年ほどが過ぎたあと、J-POPが隆盛して、日本のポップスシーンは「共有」から「共感」へとシフトしたのだなあ、ということだ。阿久悠氏の追悼番組では、おもに60年代から70年代の、歌謡曲全盛のころの曲が多く取り上げられており、その後の変化については「最近はよくわからん」で総括されていたように思う。だからまず、このシフトについて考える前に、簡単に日本のポップス史を振り返ってみよう。

 先にも書いたように、1980年代後半から90年代前半は、日本のポップスシーンにおいては、ある種、空白期だった。70年代初期に、沢田研二(タイガースからソロへ)、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎、小柳ルミ子、天地真理、山口百恵、朝丘めぐみなど、アイドルの原像となる歌手たちが輩出される一方で、はっぴいえんど、吉田拓郎、かぐや姫、グレープなどのフォークソング系から、荒井由実、中島みゆき、井上陽水、アリス、松山千春などのニューミュージック系までが出揃ったあと、80年前後のYMO(テクノ)と松田聖子(アイドル)の登場という大きな波があったくらいで、あとはイロモノと言ってもいいような動きが続いていた。おニャン子、イカ天、CMやドラマとのタイアップ(東京ラブストーリなど)。(もちろん、ドリカムやZARD、あるいは当時シブヤ系と呼ばれたフリッパーズギターなどのデビューもあり、すべてイロモノとは言わないが)

 そのなんとなく低迷している状態を打破したのが、アムラー現象まで引き起こした安室奈美恵を筆頭とする小室哲哉プロデュースのディスコミュージックだった。これはつまり、音楽がマーケティングになった、ということだったように思う。小室ファミリーに先立つBeingがやはり徹底してCMやドラマとタイアップして、音楽を大量生産品にしたことも、忘れてはいけない。その後、宇多田ヒカルのメガヒット、浜崎あゆみや倖田來未などの登場もあったが、私の目には、アムロ以来のマーケティング手法がしっかり根づいている結果に見える。

 あまりにもざっと振り返ってみたが、これを違う見方で総括してみよう。かつての歌謡曲の歌い手は、「私」を歌いつつ、すべての人に共通する心を歌っていた。「私」が歌いたい人は、フォークやニューミュージックで歌おうとしており、それは歌謡曲という反対側の極があったからこそ生き生きとしたものになったのではないだろうか。

 けれども、山口百恵は自身の結婚で引退し、強烈に「私」を生きる松田聖子が次の時代のアイドルとなった。誰もが「私探し」をしはじめた80年代を経て、「音楽」だけに特化したような安室奈美恵の音楽が大ヒットする。松田聖子であれ、安室奈美恵であれ、起きたことは同じだ。それは、音楽のなかに表現された「私」によって音楽が共有されるのではなく、「歌う私=アーティスト」に「私=聴き手」が共感する、という構図であろう。

 アーティストの「私という生き方」に、聴き手は「私」を見出す。歌は、もちろん大切だけれども、聴き手はまず第一にアーティストを見つめている。歌を共有するのではなく、歌で共感するのだ。テリー伊藤の言う「半径5メートル」のほんとうの意味は、もちろん私にはわからない。単に、身近なことを歌っているというだけの意味かもしれない。が、私は、アーティストが自分の体験や感情を昇華して普遍的なものに歌い上げるという作業をせず、「私の気持ち」を率直に歌い上げることに、誰もが共感するだけでいいのか、という疑問を持つ。

 この現象は、歌だけではないだろう。『東京タワー』『バッテリー』『一瞬の風になれ』など、ヒットする小説の多くも、登場人物の「気持ち」への共感が大きいように思う。劇団ひとりやリリー・フランキーというアーティスト/タレントの「私」を、小説の向こうに見ようとしているようにも思える。

「共感」とは、他人の気持ちを感じやすく、察しやすい繊細な日本人には、ちょうどいい距離感なのかもしれない。共有しうるものとは、やさしい日本人には骨太で重すぎるのかもしれない。でも、私は、本質への感受性というか切迫感というかは、心のなかできちんと育てなければならないものだと思えてならないのだ。

 つけくわえておくと、やはり最近故人となられた河合隼雄氏を悼む声のなかに、「つねに本質を見ようとする人でした」というものがあった。魂ということを考えつづけ、日本人はどう生きるべきかを考えつづけた氏の書いたものは、私などでも理解できるほど整理された読みやすいものでありながら、1行読むごとに私自身の存在について深く考え込まされるものだった。

 歌謡曲の持っていた「本質」も、耳にするごとに自分の内面を深く省みるようなものだったと思う。

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辰巳 渚

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