特集:Look back on YMO 〜イエロー・マジック・オーケストラ回顧録〜
「日本のテクノポップ創始者」として語り継がれる、YMOことイエロー・マジック・オーケストラ。70年代初頭に日本語ロックを打ち立てたバンド「はっぴいえんど」、さらに「キャラメル・ママ(のち、ティン・パン・アレー)」を経て、主にプロデューサーとしての活動を始めた細野晴臣(以下、細野)が、当時「サディスティックス」で煮詰まっていた高橋幸宏(以下、高橋)と、スタジオミュージシャンだった坂本龍一(以下、坂本)と共に結成した音楽家ユニットだ。
1978〜84年の約6年にわたる活動で、それまで日本人には馴染みのなかったコンピューターやシンセサイザーを駆使した電子音楽を開拓。さらにヴィジュアル面では、3人が揃いの人民服や仮面をコスチュームとして装うなど、強烈なバンドイメージを残す。 そして84年の散開から20年以上を経た現在も、彼らの存在は伝説。 そんななか2007年2月、テレビ放映の某ビールCMにて、限定的に再結成。 さらに3月にはベストアルバム『YMO GO HOME』と『ONE MORE YMO』が再発。 だから、いま改めて、YMOの軌跡を辿りたい。
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細野が坂本、高橋を自宅へ招き、意気投合したことにより結成。当初、横尾忠則(美術家)が4人目のメンバーとなる予定だったが、結成発表の記者会見に本人が現れずおじゃんに。「演奏者以外のメンバーを含む自由なプロジェクトでいたい」という細野の構想から生まれた話とされる。
当時、“音楽+シュールな笑い”という構成で人気を博していたラジオ番組「スネークマンショー」(※)。その制作者・桑原茂一により企画されたのが、この無料イベント。ライブでYMOを観たくてもなかなかチケットが入手できなかった時代ゆえ、彼らが出演すると知り、集まったファンの期待は相当だった。にも関わらず、YMOが披露したのは通常のスタイルとは真逆のフォークスタイルでの演奏。期待を裏切る演出に、観客が暴動を起こす。以降、伝説的イベントとして語り継がれる。
※「スネークマンショー」は桑原茂一、小林克也、伊武雅之からなるギャグ集団の名前でもある。
世界のロック史上、初めて本格的にサンプリング(※)を導入した作品。それまでシンセサイザー中心で構築されてきたテクノミュージックに、新たな方法論を打ち立てたことからも、歴史的な1枚といえる。
※サンプリング…既存の音源から音やフレーズの一部を抜き出し、新たな音源の一部へ組み込んでいく手法のこと。
(参考:『イエローマジックオーケストラ』(株)アスペクト発行、『レコードコレクターズ2003年2月号』)