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九ちゃんの歌 /坂本 九 | |
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TOCT-25161 |
坂本 九のオリジナル・アルバムがついに初CD化!
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坂本九がジャパニーズ・ポップス最大のヒーローであることに異論を唱える人はいないだろう。洋楽のポップスが日本に輸入されていた60年代に、日本語の「上を向いて歩こう」を全米第1位に送り込むという奇跡を実現してしまった人物。あの曲がなぜ、「スキヤキ」としてアメリカのキャピトルから発売されたのか、その経緯は省くとして、坂本九は、ジャパニーズ・ポップスの栄光の代名詞として 永遠に語り継がれる存在である。 坂本九は本名、大島九。ひさしと読む。1941年生まれ。エルビス・プレスリーに憧れて歌い始め、ドリフターズのバンド・ボーイとして1958年、日劇ウエスタン・カーニバルで初舞台を踏んだ。その時歌ったのはリトル・リチャードの「センド・ミー・サム・ラビング」だったと作詞家の永六輔は書いている。ダニー飯田とパラダイス・キングのボーカリストとしてテレビの人気者になるのはその後だ。「ザ・ヒットパレード」や「夢で逢いましょう」など、60年代前半のジャパニーズ・ポップスはテレビが舞台だった。「上を向いて歩こう」が、NHKの音楽バラエティ番組「夢で逢いましょう」の「今月の歌」として発表されたのは1961年10月だった。ビルボード全米1位になったのは、1963年の6月。3週間1位にランクされた。 彼のレコード・デビューは、1960年8月。曲は「悲しき六十才」。カバーである。作詞は放送作家だった青島幸男だ。61年3月の5枚目のシングル「九ちゃんのズンタタッタ」が初めてのオリジナルで作詞・作曲は青島幸夫だった。 このアルバムは1963年5月に出た、坂本九としての初めてのフルアルバムになる。アルバムと言ってもシングルを集めたものだというのが当時を物語っている。 「スキヤキ」以後、坂本九は作詞家の永六輔、作曲家の中村八大との“六・八・九”コンビとして語られることが多くなって行く。そういう意味では、デビューから3年間の彼のシングルをまとめたこのアルバムが意味することは多い。オリジナルのままCD化されるのは初めてなのだそうだ。「ツンツン節」は当時の大学のコンパなどでの愛唱歌。文字通り60年代の空気。カバーからオリジナルへ変わっていった時代の記録。歴史の発掘と再評価。まさしくこの名盤シリーズの意義そのものだろう。 田家秀樹 |