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サエキけんぞうスペシャルコラム

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サエキけんぞう スペシャルコラム vol.13

J-POPって何だろう?そして今、改めて歌謡曲の魅力とは?  サエキけんぞう

 マーティ・フリードマンと対談の機会があった。e2 by (イーツーバイ) スカパー ! TVガイドに連載中の「ヒットの種」というコラムが単行本としてリリースされ(自信作!買ってください!)、その巻末用に特別対談として収録されるためだ。

 いーじゃん!J-POPJ-POPについて気鋭の論客であるマーティはい〜じゃん!J-POP -だから僕は日本にやって来た-」(日経エンタテインメント! 刊)が話題。泣く子も黙る世界のトップメタルバンド、メガデスの看板ギタリストを辞めて、華原朋美やZARDなど、J-POPの魅力にとりつかれて日本にやってきたマーティは、本気でJ-POPを評価している。

 そんな彼の考えは、上記の本でも読めるが、あっと驚く論旨が、僕との対談では、展開することになった。
 その論点とは「日本はもはや、明治以来の外国人コンプレックスを感じなくても良い。」ということ。そしてその根拠として、マーティにあげられたJ-POPの秘密が、グワっと驚く内容なのである。ぜひ、買って手にとって読んで欲しい。

 この「ヒットの種」は、5年以上に渡る連載をまとめたものになるはずだったが、単行本化にあたって、見直しを進めたところ、なんと95%を書き直すことになった。つまり、ほぼ書き下ろしである。そのために一夏が終わってしまった。一直線で、最新の内容にするためだ。
 モノがヒットがらみであるから、時間がたつと状況が変化するということが一番の原因。だが、マーティとの対談による開眼も大きかった。J-POPの魅力について、外国人、そして一流ミュージシャンの立場から、J-POPが世界でも優れた音楽であることが論理的に説明されたことは大きい。自分達のことはそんなに買いかぶれないから。マーティが来なければ、日本の音楽は、自信のないヒクツなままだったかもしれない。

 ところで、このJ-POPという言葉、どのように出来たか説明出来る人はいるだろうか?また、この言葉が出てきたおかげで、歌謡曲というジャンルがなくなったことを知っている人はいるだろうか?それが起こってから約20年経過した今、このコラムで、そのナゾに挑戦してみたい。

 1980年代後半のバンド・ブームのとき、まだJ-POPという言葉はなかった。ロック・バンドの奏でる音楽は「日本のロック」だった。日本のロックは歌謡曲に対抗して出てきた音楽だったのだ。だからロックをやる人は歌謡曲をバカにしている人も多かった。
 1980年代の終わり、J-WAVEが出来た。そしてFM802(大阪)や、ZIP-FM(名古屋)などの第二FM局というのができて、スウィング・アウト・シスターワークシャイなどのオシャレな音楽を中心にかけるようになった。それらに混ぜてかけても大丈夫な日本のポップス(ピチカート・ファイヴフリッパーズギターオリジナル・ラブなど)をJ-POPと呼んだのが最初じゃないか?と思う。

 最初、それは限りなく洋楽的な、英米モノと並べてかけても遜色ないカッチョいいポップスというジャンル分けで、レコード屋の棚に現れたと思う。
 それがそのうちに邦楽のすべてを覆ってしまったのだ。そして歌謡曲は、演歌を含む、狭い範囲のジャンルを示すようになってしまったと思う。
 つまり、J-POPは1990年代初頭に発生し、演歌以外、日本のポップスをほとんど含む、歌謡曲に変わる分野になってしまった。GLAYをはじめ、90年代は歌謡曲テイストを取り入れたロック・グループがたくさん登場するようになるが、それもすべてJ-POPになった。そのため、歌謡曲という言葉がいらなくなった。つまり、ジャンルが死んでしまったのだ。90年代に出た日本の流行歌は、ド演歌以外は、すべてJ-POPであると。
 この11月にドームコンサートを行うジュリー=沢田研二は、本来、ハイカラなポップスで、ロックに近いジャンルにいるが、今だにJ-POPに入らないのは、70年代に一番ヒット曲があるから。つまり、単に出所年代の問題として、80年代までの歌謡曲は、J-POPと区別されてしまったのだ。

 もうひとつ、J-POP化を推しすすめた要素がある。J-POPは、第2FM開局の1989年〜1991年頃が黎明と書いたが、何の因果か、この頃、サンプラーによるリズム「ブレイクビーツ」が曙となる。最初、トライブ・コールド・クエストなどのヒップホップ(手動ブレイクビーツは70年代より)や、ソウル�Uソウルのようなクラブ音楽、ヤング・ディサイプルズのようなアシッドジャズなどで使われた、サンプラーで作る循環ビート、ブレイクビーツ、サンプルビートは、J-POP降誕と全く同じ時期に、音楽制作の中枢に躍り出て、ポップス作りの基準となったのだ。今では曲作りの常識になった。機械で簡単に出せる反復リズムのおかげで、肉体で叩くドラマーは失業するようになった。
 どうも、ブレイクビーツの導入のおかげで、日本のポップスのリズム感や、曲作り、曲の出来やノリが著しく向上したようなのだ。それまでは、一部のエキスパートなドラマーを使わなければ良いサウンドが出せなかったのに、だれでもサンプラーさえあれば、カッコ良いリズムが出せるようになったからなのだ。
 そこでJ-POPもどんどん質が向上していったということ。そうしたことは現場では当たり前のことだったので、歴史的にどうだ、とか考えてみたこともなかったが、改めて振り返ってみるとそうであったことは間違いない。

 マーティは、日本の音楽がブレイク・ビーツで作られるようになって向上したとは思ってなかったようだけど、明かにそうした時代のものから注目している。また、マーティは、メガデスという世界トップの生演奏バンドに在籍していたにもかかわらず、生ドラムにそれほど未練がないようなのだ。
ブレイクビーツの方が、色々なサウンドが簡単に出せてカッコいいじゃん。ドラムはワンパターン
 と対談の時に僕に言ったのである。
 このへんが「ロックは生バンドじゃなきゃイカ〜ン」と頭でっかちに考えているバンドマンと、マーティのように頭が柔軟なプロデューサータイプのミュージシャンの発想の違いなのである。
 コンピュータの発達により、自宅で、プログラミングやダビングができるようになり、なんといっても、リズムが簡単に、ループで、組めるようになった。労力が質の向上にさけるようになり、音楽の純度が、90年代、伸びたのだ。
 リズムがロックやブルースの伝統の上で構築されていた英米と違い、R&Bもロックも全部、輸入して学んでいた日本にとってリズムはネックだった。そのコンプレックスがなくなるほど、サンプルビートは貢献したのだ。サンプルだけで作られるヒップホップの代表、リップスライムのスピード感など、世界に出しても遜色のないものだ。今では、かなりの分野で作曲に使われている。J-POPとは、裏側に「ブレイク・ビーツ」によって作られる時代の音楽という意味を含んでいたのかもしれない。

 というわけで、GLAYからオレンジレンジ安室奈美恵からYMOPerfumeに至るまで、本来は遠い距離も含むあらゆる日本の音楽が「J-POP」という名前になった。歌謡曲時代よりも、範囲が広まった感じがする。

 しかし、おかしなもので、そういう風潮が確立した90年代の末から「和物」なる分野が登場した。もともとクラブシーンで使われていた言葉だが、歌謡曲っぽい曲を指す。DJが日本の音楽で踊らそうとする時に使うが、濡れた歌謡メロディーで、かつ踊れる曲を指すことが初期は、多かったのだ。ほどなく、1960,70年代の歌謡曲的な日本のポップスを指すようになる。
 それと、時期を同じくして、オロナミンCとかケロリンとかの看板を用いたレトロな居酒屋や、駄菓子を置く店、ラーメン博物館のような昭和30年代を再現したテーマパーク、あげくの果ては「ALWAYS三丁目の夕日」のようなノスタルジック映画まで登場することになったのだ。それらでは、必ずセットで、1960,70年代の歌謡曲が流れる。
 つまり、90年代以降のおシャレなJ-POP時代になってみたら、急に歌謡曲時代が懐かしくなってきたということだ。

 そういう風に説明されて、チンプンカンプンな人もいるだろう。日本にはもともと演歌的な伝統の歌謡曲があり、そこに、ジャズの服部良一のように、洋楽的な要素を取り入れていく歴史があった。ロックの登場は、最初、歌謡曲に対抗するものだったが、ついにJ-POPとなって融合を果たした。融合してしまったら、邦楽と洋楽が区別がつきにくくなったのだ。
 そうなったら、今度は、日本的なるものは何だったんだろう?と探求が始まったということだ。

 今回「ヒットの種」の「GReeeeN」「モンキーマジック」「オレンジレンジ」「コブクロ」「ゆず」「the brilliant green」「B’z」「椎名林檎」などの項で、徹底的にそのへんを論じているので、ぜひ、読んでいただきたい。

 人間とは面白い存在。失われたモノにロマンや執着を感じる。洋楽的なJ-POPが当たり前になった今、歌謡曲的な存在感や発想にたまらない魅力を感じる。欧米風なマンションや家屋にしか住んだことのない若い人にとっては、日本家屋や、「日本的」なるメロディーが、どういう成り立ちになっているか?ミステリアスだろう。
 なんといっても、洋楽と違って、歌謡曲は身近にルーツをたどれる。街のどこかに証拠がたくさん残っている。身の回りにスリリングなネタが転がってる、それを探求する時代になった。
 意識あるみなさん、歌謡曲を研究しよう!


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