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インタビュー:ジュンス実兄、意気込みを語る

 1987年1月1日生まれの東方神起のジュンス(本名:キム・ジュンス)には、二卵性双生児の兄がいる。2008年、バラエティー番組『スターの友達を紹介します』(MBC)に、ジュンスとともに出演した兄キム・ジュンホは、スラリとした長身(187cm)、ハンサムなルックス、弟に引けを取らない才能で、当時ポータルサイトの検索語ランキングで1位を獲得し、話題になった。しかし番組出演後、人々はキム・ジュンホを“ジュンスの兄”として記憶した。彼は“ジュンスの兄”という肩書きを捨て、堂々と“キム・ジュンホ”として表舞台に立つことにした。その序幕が28日、中国の首都・北京で開かれる。

なぜ中国でデビュー?

 キム・ジュンホは珍しく、韓国ではなく、中国で歌手としてデビューする。28日、北京で行われる「ジュンホ ショーケースin北京」がデビューステージ。2000席規模のショーケースには、ジュンスもステージに立ち、兄を“援護射撃”する。

 「ジュンスが北京はもちろん、今後行われる東京(4月18日)、シンガポール(5月1日)でのショーケースにも参加することになりました。弟が協力してくれるというので、どんなに心強いか…」

 キム・ジュンホはショーケースで、自身の初シングルを公開する。ダンス曲「放開我(放して)」やバラード曲「我爱你(愛してる)」で中国の女性ファンの心をつかむという意気込みだ。

 「『放開我』は男性らしさとカリスマ性を発揮することができる楽曲です。愛する女性のため、苦しむ姿をいろいろ表現しました」

 キム・ジュンホは昨年1月、中国師範大学で1年間語学研修した。研修期間中、現所属事務所(中国Bias)代表と出会い、今回の中国デビューに至った。

 「中国では歌手が俳優活動も行うシステムです。歌手になる準備をする前、俳優デビューに備え、2年間勉強しました。もし韓国でデビューしていたら、ジュンスの七光りでもっと早く定着することもできたでしょう。でも自分で成功したくて、中国行きを選択しました」

SKワイバーンズからラブコールを受けた逸材

 キム・ジュンホは学生時代、野球選手として将来を期待されていた。小学校4年で初めてボールを握った彼は、大学1年の時けがでマウンドを降りた。ケガをする前は、SKワイバーンズからスカウトされるほどの逸材だったという。ソウル漢西高校3年の時には、春季大会に出場し、時速142キロの速球を投げた。

 「春季大会の予選で好投し、SKからラブコールを受けました。ところが本選に備えて練習していた際、以前けがをした足首のせいで下半身を使えず、腕だけで投げていたら肩とひじまで壊し、結局プロ行きは断念しました」

 釜山東義大に入学し、再起を図ったが、けがの悪夢を振り払えぬまま、大学1年で退学。野球をあきらめた彼は心にぽっかりと大きな穴が開いた。

ジュンスは弟であり精神的な支え

 「僕が一番つらかった時期は野球を辞めた時です。そのころ、休みながら父親の仕事を手伝って過ごしていました。そんなある日、両親と一緒に弟の地方公演を見に行きました。当時、ものすごいファンの歓声を浴びる弟がカッコよかったし、誇らしいと思いました。ところが公演が終わり、車で帰る途中、突然涙が出てきたんです。“俺は何をしているのだろうか?”と思ったからです」

 彼のそばにはいつも弟がいた。弟のため、第2の人生を生きることができた。

 「僕がいる場所には、いつも弟が一緒にいました。野球をやっていたころは球場に来て応援してくれたし、今回のアルバム作業の時は、(ジュンスは)ミュージカル公演で大変なはずなのに、明け方食べ物を差し入れに来て、指導や激励をしてくれました。弟は“兄の方がハンサムだ”と言われるのが好きだそうです。それぐらい、誰よりも僕が成功することを望んでいます。僕にとってジュンスですか? 芸能界の大先輩であり精神的な支えです」

イ・ヘワン記者

スポーツ朝鮮/朝鮮日報日本語版

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