★Temples in Sambor Prei Kuk at a glance 写真による遺跡一覧 ★グループごとの遺跡インデックス |
Sambor Prei Kuk was located at the site of Isanapura, once a capital of Chenla between 7th and 8th century in pre-Angkorean period. there are over 130 temples mainly built by brick in this site. they are not big but unique in it's style of lintel (Sambor Prei Kuk style), relief on the wall of the temples (flying palace) and octagonal plan of some temples. サンボール・プレイ・クックは、かつて真臘(しんろう。チェンラとも呼ばれる)の都があったところである。正確には都城の周壁はサンボール・プレイ・クック遺跡中心部から見て西側にある。イシャナヴァルマン王によって築かれた都城はイシャナプラと呼ばれていた。ここには現在、主にレンガでできた百三十もの祠堂が残されている。それらはいずれも大きなものではないが、八角形の祠堂やその壁面の「空中宮殿」(flying palace)など、興味深い遺構も多い。 遺跡の周囲は疎林であり、見通しの良い林の中に遺跡が点在している。 主な遺跡は、いずれも周壁に囲まれたS/C/Nの三グループに分かれている。 サンボール・プレイ・クックの遺跡群の印象をひとことでいうと、レンガでできた小さな祠堂が平坦で見通しのいい林の中に散在している、ということになるだろうか。祠堂は平面が四角形のものと八角形のものがあり、入口の上部には砂岩で出来た「まぐさ」が、またレンガの壁面には「空中宮殿」(flying palace)と呼ばれるレリーフが見られる。 なお、サンボール・プレイ・クックの遺跡群では、各遺跡はグループ名+番号で呼ばれる。 サンボール・プレイ・クックはシェムリアップとプノンペンの中間付近にあって、どちらの町からも少々行きにくく、その巨大さ華麗さに驚く遺跡群でもない。アンコール地域に密集する巨大遺跡と比較すると、いずれの建物も小さく、レンガ作りで、華麗なレリーフもわずかしかない。建物自体の損傷も進んでおり、ほとんどの建物では上部の構造を想像することすらできない。地味で面白みがないと感じられるかもしれない。 しかし、アンコールをもっとよく知ろうとするなら、サンボール・プレイ・クックを避けて通ることはできない。アンコールにおける巨大寺院の建設へと進展していく歴史の一時期、ここに都が置かれ、当時としては技術の粋を集めた宗教建築群が次々と建てられていったのだ。 サンボール・プレイ・クックを楽しむにあたっては、まずアンコールで主要な遺跡を見ておくこと、サンボール・プレイ・クックの歴史、建築、美術について最低限の知識を得ておくことをおすすめする。注目すべき部分は祠堂のレンガの壁面を彫刻した「空中宮殿」と、これも祠堂の扉の上に設けられた砂岩のリンテル(まぐさ)で、いずれも類稀な美しさだ。八角形の祠堂内部に差し込む光線の美しさも注目に値する。 【参考】 真臘は現在のラオス南部付近から南下してカンボジアに至り、当時カンボジアを支配していた扶南の属国となったが、やがて七世紀に入ると逆に扶南を併合してほぼ現在のカンボジアに相当する範囲を統一する。六一六年にイシャナヴァルマン一世が即位して首都と定めたのがイシャナプラ、現在のサンボール・プレイ・クックである。しかし八世紀初頭に真臘は「水真臘」「陸真臘」の二つに分裂する。その後八〇二年になってジャヤヴァルマン二世がアンコール王朝を興すまで分裂状態は続いた。 ※写真上は祠堂C1南側のリンテル。 ※写真右はサンボール・プレイ・クックで発見されたドゥルガーの彫像(7世紀)。ドゥルガーはシヴァ神の妻で4本の腕を持つ。国立博物館(プノンペン)蔵。 |
group S/C/N/Z |
【グループS】 |
group K to see larger image click here |
【グループK】 中心部から少し離れてグループKがある。鬱蒼とした森の中に遺跡が点在する。状態のいいK2、リンテルの美しいK6、Krol Romeasとも呼ばれるK8などがある。ここへはバイクでのみアクセスが可能だ。 |