Research & Review (2002年6月号)

アーキテクチャ発想で中国製造業を考える

藤本 隆宏
東京大学経済学研究科教授/経済産業研究所 ファカルティフェロー

「雰囲気的な製造業悲観論」への過剰反応

今日、わが国製造業に対して示されている診断や処方箋を概観すると、空洞化論、米国スタンダード追随論、中国シフト論など、悲観的な診断や受け身の処方箋が目立つ。危機感を持つことはむろん必要だ。しかし、一貫したロジックを欠いた「雰囲気的な悲観論」からは、建設的な将来像は生まれない。

とりわけ問題なのは、わが国産業全体をいわば一枚岩とみなし、例えば銀行とパソコンと自動車の本質的な違いを軽視したような、単純過ぎる産業診断である。その結果として、調子の良い時には一方的に強気、旗色が悪くなると徹底的に弱気、という過剰反応が生まれる。1990年の自信過剰症候群(すべての企業や部署がトヨタの工場になったような錯覚)も2002年の自信喪失症候群(すべての企業が銀行・建設などの問題産業に身を置いているような錯覚)も、病根は同じ、この画一的思考ではなかったか。

昨今の「中国製造業脅威論」でも、このパターンが繰り返されているように見える。珠江デルタの電機・電子関連産業の躍進を、あたかも中国製造業全体の状況であるがごとく見なす議論が一部マスコミなどにみられる。筆者は中国経済の専門家ではないが、素人目にもこれはおかしい。またしても過度の単純化である。そこには、中国の労働市場の地域的多様性や、産業ごとの競争力の違いに関する、きめ細かい分析が抜け落ちていないか。健全な日中生産分業のビジョンを描くためにも、日本企業の側に、双方の得意・不得意を冷静に見切り、互いの「勝ちパターン」をうまく組み合わせる「ビジネスモデルの工夫」が必須であろう。過剰反応は、長期的に正しい解を生まない。

本稿では、産業や企業の得意不得意分野を見切る1つの手掛かりとして、製品の基本設計思想、すなわち「アーキテクチャ」に着目する。とくに強調したいのは、「得意分野は最大限に伸ばし、苦手分野では謙虚に他に学ぶ」という、戦略論の基本にかえった「アーキテクチャの両面戦略」である。

製品アーキテクチャとは

まず、議論の前提として、製品に体化した設計情報に着目する産業観、すなわち「アーキテクチャ発想」について簡単に説明しよう。

一般に、製品の「アーキテクチャ」とは、「どのようにして製品を構成部品(モジュール)に分割し、そこに製品機能を配分し、それによって必要となる部品間のインターフェース(情報やエネルギーを出し入れする結合部分)をいかに設計・調整するか」に関する基本的な設計構想のことである。

製品アーキテクチャには、大きく分けて、「擦り合わせ(インテグラル)型」、すなわち部品設計を相互調整し、製品ごとに最適設計しないと製品全体の性能が出ないタイプと、「組み合わせ(モジュラー)型」すなわち部品・モジュールのインターフェースが標準化していて、既存部品を寄せ集めれば多様な製品が出来るタイプとがある。また、いわゆる「オープン・アーキテクチャ」とは、モジュラー型の一種で、インターフェースが業界レベルで標準化しており、企業を超えた「寄せ集め」が可能なものを指す。

アーキテクチャと日米製造業の得意技

この観点から、単純化を恐れずに言うならば、歴史的に長期雇用・長期取引のシステムを形成してきた戦後日本企業の得意技は、概してインテグレーション(統合)、たとえば部品設計の微妙な相互調整、開発と生産の連携、一貫した工程管理、サプライヤーとの濃密なコミュニケーション、顧客インターフェースの質の確保などであった。自動車や小型家電に限らず、こうした「摺り合わせ能力」や「まとまりの良さ」が競争力に直結する製品では、依然日本企業の国際競争力は健在だ。

一方、移民を即戦力とし生産力に取り込むことを200年の国是としてきた米国の諸企業は、システム化能力、たとえば事前にビジネスモデルを構想し、ルールをつくり、業界標準を取り、自在に事業構成を組み換える能力に優れる傾向がある。こうした米国企業の強みが活きるのは、事前に擦り合わせを不要とする工夫をした上で、自在に部品や事業自体を連結し、大量生産やイノベーションに結びつける、「オープン・モジュラー型」アーキテクチャの製品である。フォードの互換性部品から近くはインターネットに至るまで、このパターンは米国産業史で繰り返し観察されてきたのである。

中国における「アーキテクチャの換骨奪胎」

それでは、昨今話題の中国製造業はどうか。筆者は、ここでも、アーキテクチャ発想が新たな論点を提起してくれると考えている。すなわち、中国製造業で頻繁に観察される、「部品のコピーと改造を通じて製品のアーキテクチャを換骨奪胎してしまう力」に、筆者は注目する。たとえば、テレビ、白もの家電、オートバイ、トラクター、小型トラック等で、このパターンが繰り返されているように見える。

具体例として、中国のオートバイ産業を見てみよう。中国は年産1000万台を超える世界最大のオートバイ生産国になったが、そこで起こっていることは「アーキテクチャの換骨奪胎」の典型例とみえる。まず外国製品(例えば本田の定番モデル)のコピーに始まり、国家によるコピー部品の事後承認、その結果生まれた「汎用部品」の国内生産拡大、そうした汎用部品を使った組立てや改造を行う数百社とも言われる中国組立企業の簇生、激烈な競争による供給過剰と収益性の悪化、それに巻き込まれた日本企業の不振、?そうした競争に勝ち残った強い中国企業の出現、といったプロセスである。日本企業は、こうした状況のなかで、誰に負けているのか分からないような状態で劣勢に回る。

このように、日本で「擦り合わせ型製品」として発達した自動車、家電、オートバイなどを、模倣と改造の繰り返しによって汎用部品の寄せ集めに近いオープン・モジュラー型製品に変えてしまう「アーキテクチャの換骨奪胎」が、中国での産業競争を語る上での鍵だと筆者は考える。表面上はイミテーション製品の横行と政府によるその追認、あるいは知的財産権の軽視といった問題点が指摘されているが、その深層にある「アーキテクチャ転換のメカニズム」が、中国製造業を考える上でのポイントだと筆者は考える。世界に冠たる本田のオートバイが中国で三%のシェアしかとれない理由の一端は、この辺りにある。

元コピー部品である汎用部品を寄せ集めて多数の企業が組立てを行う、という意味で、中国で繰り返されるこのパターンは、アメリカのデジタル製品のように事前に周到に計画された本格的オープン・アーキテクチャではないが、一種の「疑似オープン・アーキテクチャ」と言えそうである。

モジュラー製品・単能工・大量生産での強み

このパターンで大量生産する場合、中国の一部でみられる生産・労働環境が持つ優位性が活きやすい。たとえば、華南地域のエレクトロニクス産業の場合、典型的には、政府が内陸地域から18~20歳ぐらいで出稼ぎで来る若年女子労働力に対し、三年程度の期間限定で滞在許可を与える。彼女達は選抜された優秀な作業者であり、3年程度働いて、故郷で家が建つほど稼ぎ、やがて帰郷する。入れ代わりに新しい若年労働者が次々と来るので、平均年齢(19歳前後)も賃金(月額800元以下、1元=16円)も上がらない。人件費は日本の20分の1ともそれ以下とも言われる。短期採用なので数量変動に対する雇用の柔軟性もある。

こうした労働システムを活用することによって強みを発揮するのは、短期採用の単能工による人海戦術、および大ロットの大量生産ラインで勝負できる製品、とりわけ、複雑な擦り合わせを要しない「モジュール型」の製品であろう。

擦り合わせ製品・変量生産・多能工の場合

これに対し、「擦り合わせ型」の製品を多品種少量あるいは変種変量でつくらねばならないような分野(たとえば先進国型の乗用車)では、ある程度長期雇用で柔軟な多能工を育成する「日本型生産システム」が競争優位を持つ。しかし、そうした産業には、前述の「出稼ぎ・単能工」型労働システムは適合しないと予想される。

たとえば、長年の研究仲間である愛知大学の李春利助教授によれば、浙江省にある優良な地場系の自動車部品メーカーでは、労働者の賃金は月額1500元、人件費は2000元を超え、しかも毎年10%程度上昇している。さらに上海の外資系自動車関連企業の労働者となれば、残業代や社会保険等を含めた人件費は平均3000元前後、高いところでは月額5000元レベルに達した企業もあるとも言われる。このままいけば、日本との人件費の差は、程なく数分の一レベルになろう。

一方、トヨタ方式を見れば一目瞭然なように、乗用車の生産では、統合と「作り込み」の総合力が問われ、新鋭設備や低賃金だけでは勝負は決まらない。生産性・品質・納期も総合的に勘案した場合、数分の一程度の賃金差は決定力を持たない。乗用車で中国企業が日本企業のライバルとしてあらわれるのはまだまだ先の話と言われる背景には、以上のような産業特性と中国の労働事情がありそうだ。

このように、中国の生産環境や労働環境には、驚くほどの多様性がある。一方、生産システムのあり方も、擦り合わせアーキテクチャの製品とモジュラー・オープン型製品では大きく異なる。こうした地域差や産業差を無視し、華南の電子産業集積の躍進を中国全体の製造業の状況と見なすようでは、またしても「単純化と過剰反応の繰り返し」に陥る。

中国には、華南の電子関連に限らず、強力な産業集積が幾つか勃興しつつある。日本企業は、それらの産業集積が持つ「得意技」と自社の製品特性の間の「相性」を見極めた上で、めりはりのある日中生産分業体制を構想すべきである。それが、戦略論の基本である。

ものづくりの再鍛練が日中分業の大前提

以上の観点から見ると、現在一部の家電エレクトロニクス系企業などで見られる中国移転ラッシュは、やや過剰反応ではないかと懸念される。むろん、結果的に日中での国際分業は必要不可欠としても、中国への生産移管を決める前に、まず日本工場の体質強化の可能性をとことんつき詰めるのが戦略論の定石である。その点、気になるケースが少なくない。

たとえば、某大手エレクトロニクス企業の国内工場では、最近、トヨタ方式を改めて本格導入した結果、国内工場の生産性が数カ月で実に三倍になった。この工場は、日本でトップ10%には入ると推定される立派な工場だったが、それでも、トヨタのような本当のトップ企業との生産性の差は三倍以上あったというわけである。ものづくりとは、トップと準トップの生産性の差がこれぐらいあっても不思議でない世界なのだ。

以上のような事例から推測するに、国内で潜在力の3分の1以下の「不徹底なものづくり」をやっている企業が、低賃金だけを頼りに拙速な中国シフトを試みるケースがかなり多いのではないか。実際に失敗したケースも既に聞く。その結果予想されるのは、中国事業の失敗と、「自己実現予言的な国内の過剰空洞化」のダブルパンチである。

繰り返すが、筆者は中国に出ることに反対なのではない。出方が悪い例が多くないか、と言っているのである。以前から中国現地生産をしっかり行っている企業には、ものづくりをあらかじめよく考えている企業(たとえば船井電機やシマノ)が多いことは偶然ではない。

日中生産分業の両面戦略

日本企業の中国事業を考える上で、冒頭述べた「両面戦略」が重要だと筆者は考える。得意分野を伸ばしつつ、苦手分野ではほかと連携する、という戦略の基本である。

一方において、多くの日本製品は中国市場において「過剰設計」気味といわれる。顧客第一の原則は当然としても、中国の顧客を満足させられる製品を、中国製の設備や素材を厳選し活用した、簡素化した製品設計・生産システムで、安価に生産することは、多くの場合可能である。日本発の製品設計や設備を安易に移管するだけでは危ない。さらに、この意味で中国の「ものづくり優秀企業」と提携することなどを通じて、中国に合ったものづくりを取り込むことも検討の価値がある。

他方、日本製品の高品質・高コスト体質をあえて温存し、特許等で独自技術の価値を守り、ブランド価値を高めつつ、少量でも高価格帯の市場をしっかり握り、長期的にその浸透をはかる高級品戦略が有効なケースも少なくない(たとえばソニー、資生堂など)。つまり、苦手なジャンルでは相手に学ぶ一方、得意な擦り合わせ製品の良さは時間をかけて粘り強く市場に浸透させる、という「両面戦略」である。本田技研が展開しつつある、低価格オートバイで中国企業と提携する巻き返し策と、従来通りの高級モデル浸透戦略の二本立ては、その意味で注目される。

擦り合わせ製品をあらゆる加工段階から

このように、東南アジア、中国、韓国、台湾、日本など、アジア地域の製造業を考える上で見逃せない現実は、この地域で、それぞれ得意技の違う組織能力をもった企業群や工場群が出現しつつあることである。東アジア地域において、日本の製造業は、もはや全面的に優位ではない。しかしながら、「総崩れ」になっているわけでもない。むしろ、日本の製造業の持ち味は、どの加工段階からでも「擦り合わせ型」製品の輸出を仕掛けられる、という「産業構造の厚み」である。従来は、貿易黒字が自動車とエレクトロニクスに片寄り過ぎていたが、今後は、「あらゆる加工段階で、とりあえずは擦り合わせ商品で勝負する」という視点転換が必要だろう。

脚注
  • 注1 青木・安藤編『モジュール化』東洋経済新報社、藤本・武石・青島編『ビジネスアーキテクチャ』有斐閣など参照。
  • 注2 大原盛樹「中国オートバイ産業のサプライヤー・システム」『アジア経済』2001年4月号、参照。

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