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KAWORU 2015 -渚カヲル写真集- 大型本 – 2015/4/10

4.8 5つ星のうち4.8 189個の評価

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西暦2015年、やっとキミに会える――
KAWORU 2015-渚カヲル写真集-

――その少年の名は、渚カヲル。
「エヴァンゲリオン」シリーズでさまざまな表情を見せた渚カヲル。
彼のイラストを掲載した単行本を「新世紀エヴァンゲリオン」20周年の記念すべき2015年4月10日(シトの日!!)に発売予定。
プラグスーツ姿、私服姿、そして本編中の彼――。渚カヲルを堪能するため、この本は生まれました。
カバーは人気アニメーター・林明美描き下ろし。
カバーイラストを大判で堪能できる特大B2ポスター付き。

【収録内容】
・2007年以降発表された渚カヲルのイラストの中から抜粋して掲載。
・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」渚カヲル登場カットから抜粋して掲載。
・イラストだけではなく様々な渚カヲル関連商品をコンセプト別にて厳選して掲載。
特典 : 渚カヲル描き下ろしB2投げ込みポスター

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ KADOKAWA/角川書店 (2015/4/10)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2015/4/10
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 大型本 ‏ : ‎ 64ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 404102854X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4041028544
  • 寸法 ‏ : ‎ 21 x 0.7 x 29.7 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.8 5つ星のうち4.8 189個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2022年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
カッコよすぎです!!
2021年9月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
癒し効果あり
やっぱりカヲル君は最高ですね!
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ずっと見てられる
カヲルくん好きな方はぜひ!
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書き下ろしがあるとは特に書いていなかったし、そこは理解した上で買ったのでその辺は特に問題なし。
あえて何かをいうならもう少し画像大きくのせてほしかったな~と映画のスクショ辺りで思いました。

でもカヲル君の顔がいいので概ねOKです!
紙媒体として持っておきたい人にはおすすめかなと。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年5月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
カヲルくんの魅力満載でした。
カヲルくんとシンジくんが好きな人にはオススメです。
個人的に満足です。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年12月15日に日本でレビュー済み
映画では「エヴァンゲリオン新劇場版 序」・「エヴァンゲリオン新劇場版 破」、「エヴァンゲリオン新劇場版 Q」の場面が本書には掲載されている。
そしてこの中には私が好きなシンジとカヲルとのピアノ連弾の時の場面も掲載されている。
他にもカヲルの私服姿や和服、プラグスーツなどの様々な姿が見られる。
個人的にはカヲルの私服姿が特に嬉しい。
他にもこれまで発売された、カヲルの関連商品なども掲載されている。
これもこれで自分としては興味深かった。

イラストの再録が多い内容とは言えども「ALL ABOUT 渚カヲル」と共にカヲルのファンなら持っていて損はない一冊だろう。
こうしてカヲルをテーマにした単独の本を出版してもらえること自体が私は有り難いことだと思う。

それから果たして、シンジとカヲルとの間に存在する感情は友情なのか?同性愛なのか?
昔からこのような問いが多くの人々の間ではしばしば繰り返されてきた。
個人的には彼らの関係は単なる友情と呼ぶのには濃密かつ妖しく、明らかにまた別の親密さを感じさせるものがある。
つまり、やはり、彼らの関係や様子には同性愛的な要素を強く感じさせるのは明らかである。
特にBLを好んでいるという訳でもなかった、私の目から見てさえも明らかに友情以上のものが彼らの関係や様子からは見て取れる。
(ちなみにいまだに自分がアニメや漫画などで男性同士の同性愛を感じさせる関係性で惹かれるのはこのシンジとカヲルの関係性だけである。
だから自分はBLそのものが好きの腐女子という程でもないと思う。)

何よりも本来ならば人類を滅ぼすサードインパクトを引き起こすために使徒として、シンジの元にやってきたはずのカヲル。
ところが人類であるシンジが生き伸びさせるために代わりに自らが滅んでもいいと思えるくらいのカヲルのその自己犠牲という行動も。
そうしたものもその根底には彼のシンジへの強い愛情がなければできないものであるように思われる。
「庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン」の中で監督の庵野秀明自身が以下のように彼らのそうした同性愛の部分が存在する関係については認める発言をしている。
「渚カヲル、ゼーレが送りこんできた五番目のエヴァ操縦者、シンジにとっては初めての心許せる友人であり、同性愛的な恋愛対象でもあった。」
(シンジとカヲルとの間の同性愛要素を否定したいのか、カヲルは使徒なのでその魂には性別がなく、従って彼は同性愛者ではないとする意見を見ることがあるが。しかし、カヲルが人間の少年としての肉体を与えられ、人間の少年として15年間を過ごしてきたのではないのかと考えられることから。事実上、その彼のシンジへの愛情は同性愛と判断しても良いものなのではないのだろうか。)

その上、幻の第24話の一稿と二稿によれば当初はカヲルはシンジの初恋の相手であり、更にシンジのファーストキスの相手として設定されていたようである。
初めてシンジがカヲルを見かけた時に美しい少年カヲルの姿に一目でシンジが魅了される描写までが存在している。
実際のテレビアニメではもう少し控え目な描写にはなっていたものの、初めてシンジとカヲルが出会った時にシンジの頬が赤くなっていたのも。
これも彼が一目でカヲルに恋をしたからではないのかと想像される。
普通ならばいくら相手が美少年とは言え、同性に見つめられてもさすがにシンジも頬までをも赤らめたりはしないだろうし。

そしてたった一日だけの交流にも関わらず、シンジとカヲルは非常に濃密な関わり方をしたのだなと改めて感じる。
短い間にあっという間にシンジの魂の奥深い所に触れた存在がカヲルだったのだろう。
しかもごく自然にはシンジの心の中にまで彼は入り込んできた存在、それがカヲルだったのである。
もっとカヲルよりも遥かに長い時間をシンジと共有している他の誰をもなし得なかったことをすぐに成し遂げている、このカヲル。
そうした意味でもカヲルというのはすごい存在だと思われる。 

それにサードインパクトを起こすためにセントラルドグマに向かい、シンジとの戦いを中断した後に進んでいくカヲルをシンジが呼び止める様子も。
まるでその様子は敵の追撃というよりも突然に自分を残したまま、どこかへと去ろうとする恋人に追いすがり、そして真意を確かめるために追いかけようとするかのようである。
シンジの操縦する初号機がカヲルを掴んだ時もこれも一切自分に何も理由を話してくれないまま、永遠に己の手の届かない所へと去ろうとする恋人をやっと必死でその手で捕まえることに成功したかのような印象を受ける。
それはカヲルも同様である。
弐号機を操り、セントラルドグマに侵入を始めたカヲルがなかなか現われないシンジについて「遅いな、シンジ君」という言葉。
これも戦うべき敵を待ち受けての言葉というよりも。
まるで待ち合わせの時間になかなか現われない恋人が来るのを待ち焦がれてでもいるかのような印象である。
どういった形であれ、再びシンジと再会できるのはカヲルにとっては喜ばしいということなのだろう。

改めて考えてみる程にこの第24話は全体に渡って、紛れもなくシンジとカヲルのメロドラマとして仕上がっている。
また、第24話のテーマ曲であり、初めにシンジとカヲルを結びつける役割を担う曲でもある、荘重な「第九」の曲が彼らの迎えた結末を宿命的な悲劇として仕上げている。
だからシンジとカヲルの間に存在する思いの深さはその関わった時間の問題ではないことがよくわかる。
また、だからこそテレビアニメではただ一度だけの登場にも関わらず、カヲルの存在はシンジ、そして視聴者の間に忘れがたい強烈な印象と余韻を残すこととなったのだろう。

結局はまた悲しい展開になってしまうものの、「エヴァンゲリオン新劇場版 Q」の中では彼らの仲睦まじい様子が見られるのも微笑ましい。
相変わらず、カヲルのその言動や態度の端々にはシンジへの限りない好意と優しさと愛情が満ち溢れている。
そしてそんなカヲルの様子を見ているとこっちまで幸せで心地良い気持ちになれるのである。
本当にシンジを幸せにしてくれて、ありがというというか。
共にいて、シンジが心底幸福を感じることができる相手ならば性別なんてどうでも良いではないか、シンジとカヲルを見ていると私は自然にそう思うことができる。
シンジを心から理解し、更に幸せにしてくれる存在がたまたま、同性の少年のカオルだったというだけである。
また、レイに対するシンジの気持ちは母親への思慕のようなものであり、実際には恋愛ではなかったように感じられるし。

それからこちらでは彼らの友情よりも特にBL要素の方を前面に出してはいるものの、ゲームの方では幸せな二人の交流や結末が描かれているので。
そのため私はそうしたもので、アニメの描写だけでは物足りなさを感じる、彼らの関係の描き方については補完するようにしている。
ただ、「新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド2nd」や「新世紀エヴァンゲリオン 碇シンジ育成計画」の中ではカヲルがキャラ崩壊を起こしている部分が散見されたり。彼の耽美的・退廃的なイメージが極端に誇張されているあまり、彼がまだ少年なのに薔薇の香水をつけていることにされていたり。あるいは彼のその独特の台詞回しが行き過ぎて、どこかギャグのようになっている部分があったりするが。
夕方の海辺でカヲルがピアノを弾き、それをシンジが静かに聞いている光景自体は私も気に入っている部分もあるが。

上記の第24話の第一稿で採り入れられていたはずの二人が一緒に泳ぐ場面やカヲルがシンジを星を観るのに誘う場面はゲームの「新世紀エヴァンゲリオン 碇シンジ育成計画」の中で採り入れられていたり。
また、第24話の第一稿でカヲルがシンジと眺める水没した町並みについての、まるでローデンバックの「死都ブリージュ」のようだというカヲルの台詞がゲームではカヲルがシンジと星を観るために向かう途中の光景を眺めた時に使われている。
あるいは同じ場面が「エヴァンゲリオン新劇場版Q」の中で多少はアレンジされて採り入れられている。(映画の方ではシンジの方が星を観るのにカヲルを誘う展開になっている。)
他にも第24話の第二稿ではカヲルがシンジを自分の弾くピアノとシンジのチェロの合奏に誘う場面があり。
これが「エヴァンゲリオン新劇場版Q」では二人のピアノの連弾という形として採り入れられたのではないのかと考えられる。
おそらくはこのようにアニメの方とゲームの内容の間にも関連性が存在し、アニメでは使われなかった場面がゲームでは使われている部分が存在するようである。

それからエヴァンゲリオンは母性原理の強い物語だとの指摘をよく聞く。
確かに自分と他人の個や存在の消失、精神面におけるそれだけではなく、物理的なそれさえも融解し、全てが融合する人類補完計画など。
いかにも母性原理の強さを感じさせるテーマである。
この世の全てを生み出し、またこの世の全てを破壊したり、何もかも己の中に飲み込んでしまう程の強烈なエネルギーとしての母性、言わばグレートマザーというか。
そうした偉大であり怖ろしいものという、母性への憧れと畏怖のようなものを同時に感じさせる作品がエヴァである。
他にもこれもそう思わせる要因の一つとして。
エヴァには偉大にして恐るべき大地母神を思わせるかの如く、強烈な女性達が目立つことである。
ミサト、リツコ、レイ、アスカなど。
庵野監督の中には女性に備わった原始的とも呼べる強烈な力を畏怖する気持ちが存在しているように思われる。

反対に男性達の方が繊細さを感じさせる印像が強い。
シンジや渚カヲルなど。
特にシンジなどはこうした強烈な女性達に圧倒されがちなためか、女性恐怖症の気配さえも感じさせる。
だからそんな彼が女性よりも繊細で優しいカヲルに惹かれていくのも必然の結果ではないのかとも思われる。
実際にもエヴァンゲリオンの彼女ら主要女性キャラ達は明確に襲来してくる使徒の存在を明らかな敵として認識、無条件で殲滅すべき相手だと信じて疑わないのである。
そうした確固たる信念がある分、特に使徒達自体が憎い訳でもないことや生物の形をしているものの命を奪うことへの抵抗感などから絶えず葛藤しながら使徒と戦い続けるシンジよりも彼女らは一層揺るぎがなくて強い訳である。
その彼女らの生来の個性に加え。

そのために彼女らからは何かとシンジは叱咤や否定や批判をされてしまうことの方が多い。
敵である使徒との戦いと勝利を最優先している彼女らからはシンジのその姿は優柔不断、頼りない、臆病、これらの否定的なものにしか映らないのだろう。
ところが初めてそんなシンジの性格、裏返せば繊細さや優しさという長所だとも言える部分を一瞬にして見抜き、とても素晴らしいもの、愛すべきものとして受け入れてくれたのが渚カヲルだったのである。
このようにこれまで他者から弱点だとして批判しかされてこなかった自分の個性について素晴らしいもの、愛すべきものとして認め、受け入れてくれる相手と出会えたら例えそれが同性だろうが十分に恋に落ちる理由にはなり得ると考えられる。

エヴァの主要キャラの女性達よりも平和的で優しく繊細な少年、それがシンジだと言える。
だからそのような性格であり、周囲の強い個性や気性を持った女性達に圧倒されがちな印象を受けるシンジ。
そんな彼がこちらも優しくて穏やかな気性を持ち、更に女性達よりも妖艶で美しい少年カヲルと恋に落ちるのも視聴者からもごく自然なことのように思われ、特に違和感も感じさせず、比較的好意的に受け入れられやすかったのではないのか。

よりにもよって、れっきとした大人の女性であり、未成年のシンジを指導し、保護する立場にあるはずのミサトが突然に恋人の加持を失った喪失感から本当にシンジのためというよりも自分の淋しさを埋めるためにシンジに言い寄る。
そして自分を慰めるためと口では言いながら、自分の淋しさを埋めるために自分を利用しようとするミサトの真意に気付くシンジは嫌悪感を露わに拒絶する。
そして同じ女性としてもこのミサトの行動には嫌悪感を覚える。

このように一見、成熟した大人の顔を見せていながらどこか精神的に危うさを抱え、また倫理観に問題のある大人が多いのもエヴァンゲリオンの特徴だが。
唐突にゲンドウとは男女の関係にあったことを示す、最終回近くのリツコの衝撃的な暴露もその関係の始まりは強制的なものだったらしいことが匂わされているし。
このような女性としての生々しさやそうした男女関係を漂わせる女性達に比べ、突然にシンジの前に現われた謎の少年カヲル、そして彼とシンジとの交流や彼らの関係の純粋さや清らかさ、繊細な心の交流が際立つのである。
物語の終盤にかけて生々しい男女関係の片鱗を覗かせる大人達に比べ、これまでTVシリーズのオープニング映像には既に姿を見せ続けながらも物語終盤近くでやっと登場するカヲルは一服の清涼剤のような存在ともなっている。

エヴァの強烈で個性の強い女性達の存在がむしろカヲルのその清らかさや儚さや際立たせる効果を出している部分があるのである。
だからこうしたエヴァにおける女性達の存在のあり方こそがカヲルの魅力を強く引き出す結果を生み出しているとも言える。
まず、不意に登場したカヲルに魅了された多くの視聴者達は彼のシンジに対する、その限りない慈愛や受容性や肯定を漂わせる渚カヲル自身の性格や態度に強く心を動かされたのではないのかと思う。
シンジに自分を重ね合わせて、同じように自分も相手に受け入れてもらいたいと感じる視聴者も多かったのではないのだろうか。
ここまでシンジとカヲルのカップルが多くの人々から支持されているのも、(中には一部の男性達までをも含めて)彼らの関係性が単純な同性愛の関係性には留まらない要素があるからではないのだろうか。
共に平和的で繊細な心を持ち、更に共に文学・芸術的なことを好む共通の嗜好も備えた彼らはソウルメイトのような存在としていいのではないだろうか。
常に心ならずも愛するカヲルを死なせる形となってしまうシンジ、そして自分の命を犠牲にすることでシンジへの愛を示そうとするカヲル。
そのような彼らの関係の悲劇性も多くの人々に強い印象を与える部分もあるのだろうし。

ちなみに当時の庵野監督が普通の精神状態ではなかったらしく、結果としてカヲルについてはおかしなキャラクターになったと言わしめたそうだが。
しかし、監督がそのような通常の精神状態ではなかったからこそ、独特の魅力を備えたカヲルという存在が生まれることになったのではないのだろうか。
むしろ怪我の功名とも呼べる、奇跡の存在がカヲルなのではないのだろうか。
シンジとカヲルの関係についての結論としてはやはり、シンジとカヲルは友人であり、恋人でもある存在ということか。
カヲルと一緒にいて頬を赤らめる時のシンジの様子が完全に乙女の反応のようだし。

それから私が気になっていることとして。
第24話の第二稿でシンジとカヲルが大浴場で入浴中にシンジがカヲルの手首に幾筋もの傷跡を発見することである。
これは自分が何のために存在しているのかわからない絶望はから過去にカヲルが何度も自殺を図ったことを暗示しているのではないのか。
おそらくは人為的にサルベージされた魂や人格や肉体を与えられたレイにも子供の頃があるのと同じく、同様の形で誕生したカヲルにも抹消された15年間の過去が存在しているのだろう。
想像する所、レイの場合のように周囲にゲンドウのように愛情を注いでくれる存在がカヲルにはいた訳でもなく。
まさに研究所のような場所で機械的に人々から彼は対応され、誰かの愛情に触れることもないまま、ずっとカヲルは孤独に生きてきたのではないのだろうか。
シンジと出会うまでは。
どのような形でも良いからシンジと出会う前のカヲルの15年間を描いた作品が見てみたかったものである。

それからカヲルはその年齢の割にはローデンバックの文学作品などのかなり様々な書物に触れ、相当に博識であるかのような印象を与える。
おそらくはそのような形で、彼は人間に対する理解を深めていったのではないのだろうか。
それがゼーレの意図した計画的な教育プログラムだったのか、偶然だったのかはわからないものの。

しかし、そうして人間について理解を深めていく程にカヲルは反対にいかに自分が自然の摂理から外れた生まれ方をした存在であるかという事実にも気づき、自己の存在意義についての絶え間ない不安や疑問をも抱え込むことになってしまったのではないのか。
だからこそ、確実に自分の存在意義、これまで自分が生きてきた意味をも知らせてくれたシンジと出会ってからは自分は彼を幸せにするためだけに生きている存在なのだと思うようになり。
そのために破滅的で極端な選択をしがちなのではないのだろうか。
シンジの幸せか、さもなくば自らの死かのような。

人為的に生を与えられ、サードインパクトを起こすためだけに生み出されたという、機能的な役割しか求められず、個人として自然に存在意義を認めてもらえなかった存在であることも相まって、極端に自分の存在に執着心が薄いことも関係し、カヲルにそうした選択をさせてしまいがちなのだろう。
これは同様に人為的に生み出された存在であるレイがシンジを助けるために自爆を選んでしまった姿とも重なる。
こうすることで最も相手を悲しませてしまうこと。
つまり、相手のために良かれと思ってした自らを犠牲にする行動が反対に最も相手を傷つけ、悲しませてしまうということにレイも気づくことができない傾向とも重なる。そしてレイも絶えず自己の存在意義を問い続けている。
やはり、同様に自分という存在だけで周りから価値を認めてもらえるということを体験しないままだったレイとカヲルとの共通点だろう。

カヲルのどこか諦観したかのような、あるいはその彼の退廃的・虚無的なものを感じさせる部分も。
そうした彼の過去にまつわる翳りが大きく関係しているのかもしれない。
シンジとカヲルが強く惹かれ合ったのもお互いに根本に大きな孤独を抱えていたからという部分も存在したのではないのだろうか。
それに初めからカヲルから示された、そのシンジに対する溢れるばかりの好意や愛情の理由、どこか謎めいているようにも感じられる彼の性格もそうした彼の過去に起因すると考えれば私としては納得のいく思いがするというか。
おそらくはそんな孤独な彼の毎日を慰めてくれたのが音楽との出会いだったのではないのだろうか。
自分の存在意義や生まれてきた意味が見出せずにいたカヲルに精神的安定と救いをもたらしてくれたものが音楽だったのかもしれない。
そうなるとシンジとカヲルを結びつけるものとして、第九の音楽やピアノの連弾などの音楽が使われているのも一層重要な意味を帯びているように思われる。

更にこう考えていくとカヲルの一連の言葉についても新たに非常な重みを持って響いてくる。
「歌はいいね。歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ」・「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない」・「ありがとう、君に会えてうれしかったよ」。
また、まさにシンジと出会ってからカヲルは自分が生まれてきたのは彼と出会うためだったのだということを直感的に理解したのではないのだろうか。
「ありがとう、君に会えてうれしかったよ」という、この最期のカヲルの言葉も心の底からの率直な彼の言葉だったのだろう。
一見完璧超人のような王子様めいた存在に見えていた、その彼の抱える心の闇は相当に深いものであったことが想像される。
とても15歳の少年とは思えないような、達観しているかのようなカヲルの姿勢も実際にはそのような繊細で揺れ動く心を持ち、様々な葛藤に苦しんだ末に彼が辿りついたものだと思えば。
けして完璧超人のような最初から達観したような存在ではなかったのではないのかと思わせる、人間らしい部分を感じさせるカヲルには私としてむしろ親しみを覚える。

それから改めて考える程に基本的にシンジとカヲルは共依存とも言えるくらいの、二人だけの閉鎖的な狭い世界での親密な関係性という、どこか歪さや死の要素をも含む、破滅的な要素を抱えているからこそ。それこそが本来のシンジとカヲルの関係性なのではないのかと思う。
それは庵野監督自身も意識している部分ではないのだろうか。
彼自身がどこか歪さのあるものに興味や魅力を覚えている部分があるように私には思える。
だから彼らの関係は想像される、そうした要素をも含めて、シンジとカヲルの関係に魅力を感じている私のような一部のファンを除き、エヴァの多数派の一般的なファンには受け入れられがたい要素を備えているのではないのかと考えられる。

しかし、物語に一応の完結をさせるためなのか、新劇場版では徐々にシンジとカヲルの関係の健全化計画が進められているようにも見える。
まず、摩砂雪副監督が作画監督を勤めていた回のTVシリーズでの、カヲルの外見自体が切れ長の瞳を持った妖艶な美少年風から。
新劇場版の三部作では爽やかなイケメン風のものに変わり、かつての彼の妖艶さはなくなっている点。

更に相変わらず、シンジとカヲルの間にはピアノの連弾の時に見られる通り、通常の友人同士にしては親密過ぎる、身体も含めた接触の様子は見られるものの。
それでもテレビアニメの方とは異なり、通常の友人としてのそれに留まる範囲にされているように私には見える。
また、カヲルの外見自体の変化と共にかつて彼が持っていた、どこかその麻薬めいた魅力というか、一種の毒のようなものも抜けている印象である。
そしてどこかその不健全さというか、退廃的な要素もカヲルの魅力であったと思われるが。
ところがその外見の変化と共に加持に彼が心を開いている様子など、カヲルの普通の健康的な少年化が進められてきているように私には映る。

新劇場版シリーズで再登場はしてくれたものの、このようにかつてのカヲルとは外見や内面共に大きく変化しているように思われ、個人的には再登場してくれた嬉しさと共に残念に感じる部分があるのも事実である。
そして「シン・エヴァンゲリオン」ではそれまでの作品のカラーとは大きく変わり、陳腐なくらいにありきたりの大団円が無理やりに表現されている印象である。
この中ではエヴァの様々な人間関係の健全化が図られているように見える。

あっさりとしたゲンドウとシンジの和解、マリという女性が登場したことにより、事実上の同性愛要素をも含めた、その親密で無二のものを感じさせたシンジとカヲルの関係も普通の友人か、あるいは他人としての存在に変化していくであろうことが匂わされる結末となっている。
そしてそうした結末こそが彼ら二人にとっても最も幸せな結果だとでも言うように。

つまり、庵野監督自らがそれまでのシンジとカヲルとの関係を破壊しようとしているのである。
一般的な多数派のファンが好みそうな、一応の完結と言える形にするためには最大の障害となりそうな、シンジとカヲルの関係性を根底から破壊し、終了させるしかなかったということなのだろう。

そのために「シン・エヴァンゲリオン」は作品そのものを完結させることを最大の目的としただけの作品という感想しか、私は抱くことができない。
また、シンジとカヲルとの関係性を終了させるためにシンジのパートナーとなる女性として、マリをあまりにも個性が強過ぎる女性にしたことも私としては気にかかる。
一部のマニア受けを狙ったのが明らかなマリの特徴など。
独特の言葉遣いに眼鏡っ子、巨乳など。

そして本質的にエヴァ自体が完全に一貫した設定や整合性を備えた作品とは言い難く、また物語の構成自体が様々な歪みや奇形的な複雑な要素を備えた作品であることもあり、完全に妥当かつ整合性があり、安易ではない大団円という完結をさせるのは不可能な作品なのだと思う。
だからこそ、一般的な話や展開のアニメ同様の大団円を図ろうとすればいろいろな不自然さやご都合主義が目につくのだと思う。
シンジとマリもやっつけ的にカップルにされている印象が強いし。
他にもカヲルがゲンドウのクローンであるかのように思わせる部分やカヲル=ループ説と考えられるものも後付け設定ではないのかとも思えるし。

このように劇場版ではシンジとカヲルの関係性自体が本質的に変質しているために。
私の中での彼らの関係性はTVシリーズの内容や設定のままで留めておきたいと思う。
とは言えどもカヲルのような独特の個性と魅力を備えた存在を生み出したのは紛れもなく庵野監督の功績だろうが。
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2021年7月9日に日本でレビュー済み
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後半からBL…じゃなくて、Qのカヲル×シンジには少し物足りない感じはしますが、前半は色々な渚カヲルに満足しました!買って良かった('∀`)

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M. Sun
5つ星のうち5.0 High Quality Art Book
2022年1月3日にアメリカ合衆国でレビュー済み
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The book contains many iconic pictures of Kaworu Nagisa, including that of a few selected scenes from the Evangelion movie series. It also contains introductions to collectibles (anime figures, shirts, stationeries) based on this character at the end. You can feel the papers of this book to be of high quality. I would recommend this product to other Kaworu fans. Oh, there’s a poster that matches the front cover of the book inside too!
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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Alexandra Sanchez
5つ星のうち5.0 Amazing!!
2020年10月24日にアメリカ合衆国でレビュー済み
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It came even earlier than expected. I really love the illustrations and the poster looks cool. Money well spent.
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Rythmi Mink
5つ星のうち5.0 I LOVE IT SO MUCH OMGZ
2018年11月22日にアメリカ合衆国でレビュー済み
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I love this art book so much! It has my bois kaworu and shinji and they are so BOYFRIENDS! I know they canon XD love this, any fan of kaworu or even neon genesis should get it.
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Angel Drummond
5つ星のうち5.0 Excellent Kaworu book
2019年1月18日にアメリカ合衆国でレビュー済み
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Took a while to get here but is worth the wait if you're a Kaworu fan! Beautiful pictures too! <3
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Jack
5つ星のうち4.0 Good, but a tad overpriced
2022年7月4日にアメリカ合衆国でレビュー済み
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The book was alot smaller than i thought but i felt the addition of a poster kinda made up for it.
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