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週刊エコノミスト Onlineロングインタビュー情熱人

「都市の肖像」を描く日本画家――岩波昭彦さん

「時代と国や場所が変われば絵の評価も変わる。若い人に場所・経費・機会を提供していきたいですね」 撮影=武市公孝
「時代と国や場所が変われば絵の評価も変わる。若い人に場所・経費・機会を提供していきたいですね」 撮影=武市公孝

日本画家 岩波昭彦/109

 近代的な都市景観を日本画として繊細かつ幻想的に描き続ける。新進作家の支援にも力を入れる岩波昭彦さんの、伝統技法へのこだわりと新しさを求める熱い思いの根底にあるものとは──。(聞き手=冨安京子・ジャーナリスト)

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── 2020年から大丸京都店(京都市)などで毎年、全5回にわたって開かれた「Essence(エッセンス)展」が今年1月に終わりました。自身の企画・構成で開催した岩波さんと新進作家のグループ展ですね。

岩波 作品発表の場については僕自身が20代のころ、すごく苦労した経験があるんです。だから、新進作家の発表の機会を少しでも増やし、多くの人に作品を見ていただければと思い、画商さんや複数の百貨店さんの協力も得て14年から「Colors(カラーズ)展」を開き、「Essence展」ではそれを引き継ぎました。今回、無事最終回を迎えることができ、肩の荷が下りました。

── 故郷の長野県下諏訪町など諏訪湖周辺の2社4宮からなる諏訪大社と制作の縁も深いとか。

岩波 大社の7年に1度の「式年造営御柱(みはしら)大祭」(通称「御柱祭(おんばしらさい)」)では毎回、御柱の太い綱を家族全員で大きな掛け声を上げて引っ張っていたし、幼いころは友達と一緒に木で「御柱」を造って木落としをしたりしながら遊んでいました。正式に関わるようになったのは1994年から。諏訪大社の上社前宮がある長野県茅野市の教育委員会からの依頼で、諏訪大社上社とその周辺を描いた「天正古地図」の模写をしました。

 14年には7年がかりで仕上げた屏風(びょうぶ)図「湖国旭日」や「下社春宮」などを含む「平成・諏訪大社三題(5部作)」を、20年には下社秋宮斎館の襖(ふすま)絵「湖國神」などを奉納しました。そのご縁で毎年、絵馬の原画を担当することになり、今年も4月か5月には来年のえと巳(み)の図を納めに大社にうかがう予定です。

── そして、ハガキ大から縦1.8メートル×横10メートルの大きさの六曲屏風一双まで、代表作の光あふれる「都市の肖像」シリーズの制作が続いています。

岩波 29歳で近代都市を中心に本格的に描き始めた「都市の肖像」シリーズは、外務省に収蔵されたニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを描いた連作「摩天楼」の中の一枚をはじめ、東京・新宿の超高層ビル群、中国の紫禁城、パリのノートルダム大聖堂など、多い時で年間70点を超える絵を描き続けてきました。今は東京・お台場のレインボーブリッジを描いていて、今年秋の大丸京都店美術画廊での出品に備えているところです。

 岩波さんの子どものころの思い出は、父のひざの上でかいだ油絵の具のにおいだ。精密機器製造会社に勤めていた父は油絵をたしなみ、東京の公募展などに入選していた。絵画では「大坂夏の陣図屏風」や「関ケ原合戦図屏風」が特にお気に入りだった。中学生の時、模造紙に描いた武者絵や合戦図に物足りなさを覚えて父に相談すると、「日本画の画材で描いてみたら」とのアドバイスを受ける。これが日本画に興味を持つきっかけとなった。

── 85年に多摩美術大学に進学し、日本画を専攻して加山又造クラスに入りました。

岩波 父が集めていた画集で、日本画の巨匠・安田靫彦(ゆきひこ)先生や前田青邨(せいそん)先生のような歴史画を描きたいという気持ちが強く、日本画専攻に入学したんです。そこで加山先生のクラスで学べたのも幸運でした。加山先生は桃山時代後期から近代にかけて流行した琳派(りんぱ)から、近代のシュールレアリスムまでを取り入れた作風で一世を風靡(ふうび)しました。国境を超えた美術の知識と世界を知ることができました。

落選を重ねた駆け出し

── 順風満帆なスタートのようです。

岩波 それがそうではなかったんです。今も所属している日本美術院展(院展)には出品するたびに落選して、メンタル面で落ち込んで……。周りからは「他にも日展や創画展などの公募展があるじゃないか」という声もありましたが、あのころの僕にとっては歴史画の大家がたくさん在籍していて、何より日本画の伝統を最も強く受け継ぐ芸術性と職人技を併せ持つ院展という場所に、何が何でも身を置かねばという一心でしたね。

 学生のころの苦境を救ったのは、後に正社員となる新聞社での図案などの製作のアルバイト。新聞社が主催・後援していた高松宮殿下記念世界文化賞や“絵画の芥川賞”といわれた安井賞展、現代アートなどとの出会いを通し、美術界の奥行きの深さを体験した。上野の森美術館大賞展に応募した80号の人物画「蒼い風景」が佳作賞を受賞したのもこのころ。加えて26歳の時、日本画の大家であり多摩美術大学名誉教授だった故・松尾敏男氏に弟子として認められ、門下の研究会「無名会」に入会。新たな一歩を踏み出すこととなった。

「花鳥風月から離れて」

── 何が変わりましたか。

岩波 当時、多くの百貨店や画廊での作品発表では日本画といえば花や鳥、富士山といったものが主なテーマで、それらが画家には求められていました。僕は日本画の技法を踏襲しながら誰も描いたことのない新しい表現に挑んでみたい、それが自分の絵の個性になると強く思うようになっていましたが、一方で尻込みするような怖さもありました。

 でも、松尾先生か…

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