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 発売が近づくと、国土交通省の立ち会いの下で認証試験が実施される。認証試験に合格しなければ、クルマを発売することはできない。日産自動車(以下、日産)は軽電気自動車(EV)の発売に向けて認証試験に挑んだ。ところが、思わぬ落とし穴にはまった。(本文は敬称略)

日産の軽EV「サクラ」
日産の軽EV「サクラ」
(撮影:小林 淳)
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 2021年10月末、某所。日産の開発陣は量産前の認証試験のために軽EVを試験場に持ち込んだ。認証試験は量産条件と同じ車体で行う必要があるため、発売予定時期の半年ほど前に実施される。

 軽EVは次々と試験項目をクリアしていった。このまま無事通過するだろうと試験場にいた誰もが思っていた。これまでを振り返っても、認証試験でつまずいたクルマの開発は思いつかない。そうこうしているうちに、試験は外部短絡試験に移行した。

 外部短絡試験は2次電池(以下、電池)に異常な高電流が流れたときに、ヒューズが切れて安全を確保できるかどうかを検証するものだ。試験内容としては、電池ケースのハーネスを短絡させ、ヒューズが切れることを確認する。

 「それでは、試験を開始します」

 合図とともに、試験担当者がハーネスを短絡させた。すると、次の瞬間……。

 「ボンッ!」

 試験場に異音が響いた。

 「おい、何が起こったんだ?! 急いで確認しろ」

 試験担当者が慌てて電池ケースに駆け寄った。電池ケースの中を確認すると、強電リレーが溶損して壊れていた。試験に立ち会っていた社員は皆、頭が真っ白になった。それも無理はない。

 日産では認証試験の本番に臨む前に試験場を借り、事前に認証項目を検証する。この軽EVでも事前検証を行って問題がないことを確認していた。にもかかわらず、本番でとんでもないことが起きてしまったのだ。

リレーの溶損

辻俊孝と電池ケース
辻俊孝と電池ケース
辻はサクラのパワートレーンの責任者を務めた。(撮影:小林 淳)
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 認証試験に参加していた社員の1人が急いでパワートレーンの責任者である辻俊孝へ電話をかけた。

 「辻さん、大変です。外部短絡試験で強電リレーが溶損しました」

 「なんだって? 社内で検証した時には問題は起こらなかったぞ」

 辻にとっても寝耳に水の知らせだった。辻は急きょ、様々な専門家に声を掛けて、原因解明に向けたチームを立ち上げた。

 (事前検証ではうまくいっていたのに、本番では駄目だった。きっと、この違いに何か原因があるはずだ)

 メンバーは社内で活用している分析手法「Is/Is not(イズ/イズノット)」に基づき、問題があったときの条件と問題がなかったときの条件とを徹底的に比較することにした。実験時の環境に違いはなかったか、実験方法は間違っていないか、部品にねじの緩みなどはなかったか、電池は同じ場所で製造したものなのか……。

 思い当たることを次々と列挙させ、それらの全てにデータを添えた回答を辻は用意させた。メンバーは短い時間で全ての質問に対する回答を用意してくれた。ところが、失敗の原因となる違いは何1つ見当たらなかった。

 (まずいな。原因の見当すらつかない。このまま原因が特定できないと、出荷が遅れるどころか発売が中止になってしまうかもしれない。何としても解明せねば)

 発売予定日が迫る中、辻は焦りの色を隠せなかった。

 (いかん。焦りが先行していては、大事なことを見落としてしまう。まずは冷静になろう)

 2、3回深呼吸し、辻は落ち着きを取り戻した。何か見落としたものがあるかもしれない、もう一度、破損した部品を見てみよう。

 問題が発生してから既に何度も確認した部品だったが、改めて見ると辻は違和感を覚えた。

 (ん?これはどういうことだ?)

 破損した部品をよく確認してみると、ヒューズは切れていないのに、リレーが溶損してしまっている。

 (もしかして、問題は車両ではなく、設備にあったのではないか?)

 違和感の正体を突き止めた辻は、部下に本番の認証試験で使った設備を調べるように依頼した。部下からは、その施設は認証試験の実施歴があるので問題ないと報告を受けたが、それでも調査を進めるように指示した。

 「やっぱりか。これは盲点だったな」

 部下から調査結果を受けた辻は、ついに原因解明に成功した。原因はこうだった。

 外部短絡試験は高電圧をかけるため、電池が爆発する危険性がある。そのため、試験時は頑丈な部屋の中に電池ケースを置き、部屋の外までハーネスをはわせて、外部から短絡状態をつくり出す。

 調査したところ、このハーネスが事前検証の設備と比べて異常に長かったことが発覚した。ハーネスが長いと配線抵抗の影響が大きくなる。これで電池に流れる電流が微妙に小さくなった。そして、電流値が小さくなったことで、ヒューズが切れる時間がコンマ数秒遅くなった。その結果、電池に一気に数千A(アンペア)の電流が流れてリレーが破損するとともに異音が発生した──というわけだ。