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第12号 平成12年11月16日(木曜日)

会議録本文へ
平成十二年十一月十六日(木曜日)
    午後一時三十八分開議
 出席委員
   委員長 自見庄三郎君
   理事 小林 興起君 理事 鈴木 宗男君
   理事 西野あきら君 理事 細田 博之君
   理事 長浜 博行君 理事 堀込 征雄君
   理事 河上 覃雄君 理事 塩田  晋君
      荒井 広幸君    岩崎 忠夫君
      小坂 憲次君    桜田 義孝君
      下村 博文君    高鳥  修君
      高橋 一郎君    中馬 弘毅君
      中谷  元君    野田 聖子君
      林  幹雄君    松宮  勲君
      八代 英太君    阿久津幸彦君
      加藤 公一君    鹿野 道彦君
      鍵田 節哉君    玄葉光一郎君
      島   聡君    手塚 仁雄君
      松本  龍君    山花 郁夫君
      遠藤 和良君    久保 哲司君
      中井  洽君    木島日出夫君
      児玉 健次君    今川 正美君
      北川れん子君    平井 卓也君
      小池百合子君
    …………………………………
   議員           北橋 健治君
   議員           中野 寛成君
   議員           冬柴 鐵三君
   議員           松浪健四郎君
   自治政務次官       中谷  元君
   自治政務次官       荒井 広幸君
   衆議院調査局第二特別調査
   室長           牧之内隆久君
    ―――――――――――――
委員の異動
十一月十六日
 辞任         補欠選任
  大幡 基夫君     児玉 健次君
同日
 辞任         補欠選任
  児玉 健次君     大幡 基夫君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権等の付与に関する法律案(冬柴鐵三君外一名提出、第百四十八回国会衆法第一号)
 永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権等の付与に関する法律案(北橋健治君外六名提出、第百四十八回国会衆法第二号)

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    午後一時三十八分開議
     ――――◇―――――
自見委員長 これより会議を開きます。
 第百四十八回国会、冬柴鐵三君外一名提出、永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権等の付与に関する法律案及び第百四十八回国会、北橋健治君外六名提出、永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権等の付与に関する法律案の両案を一括して議題といたします。
 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。西野あきら君。
西野委員 自由民主党の西野あきらでございます。
 本国会の中で当法案の質疑をいたしますのはトップでありますが、既に前々国会で、この問題も一回は審議入りをいたしておるわけでございます。
 この外国人に地方参政権を付与するという問題は、地方政治それから地方の行政に対しましても非常に大きな影響力を持つことは御存じのとおりであります。いわんや、これに基づいて、民主主義の根幹にかかわる問題であるというふうに思っております。したがって、これらの問題は、いわば社会の成熟度を推しはかるものでもあるのかなというふうに思いますし、さらに、これらの法案が決定を見ますと、一定の歴史がたって、後世にどういう評価を受けるかということにもなるわけでありまして、大変重要な内容であるというふうに思っております。
 したがって、本法案の審議につきましては、慎重に、いろいろな角度からしっかりと審議を進めるべきだ、このように、冒頭、私の考えを申し上げておきたいというふうに思います。
 ところで、御案内のとおり、二十一世紀へはあと指折り数えて四十五日でございます。文字どおりのカウントダウンが始まっておる、こう見てもいい時期に来ております。今世紀の前半は、どちらかといいますと、一国がその国の名のもとにおいて、国策、国益という美名のもとに植民地政策を敢行しまして、世界の各地で戦争の惨禍が繰り広げられたことは歴史的にも事実であります。我が国も、悲惨なあの戦争の反省の上に立って、新憲法のもとに、国民のたゆまぬ努力がありまして、国際社会の中でいわば一定の評価を得ることになったというふうに思っております。今日、この今世紀末になりまして、まさに国際化時代でもございますし、我が国がむしろ先駆的役割を果たせるかどうかということが、次の二十一世紀に向けての大きな時期だろうというふうに思っております。
 したがって、二十一世紀は、他国への国際貢献も当然大事でありますけれども、我が国に住む永住外国人もいわば住民の一人だということで、ひとしくこの人たちにも人権が守られて、そして、その人たちが幸せを享受できる社会を求めることは、文字どおりの成熟社会を迎えることができるかどうかということにかかっておるというふうに思っております。したがって、成熟した日本社会の構築が、今後の国際社会でのリーダーとしての我が国の一つの大きな役目ではないかなというふうに思っております。
 そこで、これらのことを申し上げて、提案者の皆さんにお尋ねをしたいと思います。公明、保守、民主の各党提案者の皆さんに、新しい二十一世紀の我が国、成熟社会という点から考えて、特に外国人の地方参政権というものを絡めて、提案者の皆さんの国家観といいますか、あるいは社会観といいますか、そういうものを順次お尋ねしたいと思います。
冬柴議員 大変格調の高い質問をちょうだいしました。
 国連憲章前文も、我々は、この世紀で二度までも耐えがたい被害を人類に与えた、そのような戦争の世紀であったという書き出しで始まっておりますように、ただいま質問者から御指摘がありましたように、二十世紀、あとわずかで終わりますけれども、この世紀は、どちらかと言えば国家というものが余りにも前面に出過ぎて、そして、その構成員である住民、国民と申してもよろしい、それがその国家の目的の手段とされた世紀であったのではないか、このような反省を持っております。
 例えば、富国強兵という大きな国家目的のために、そこに住む住民は戦争に駆り出されました。また、隣国にも多くの御迷惑をかけたことも、先ほども申されましたように、列強が競って植民地経営に乗り出した、そういう事実も今世紀はありました。しかし、二十一世紀はそうであってはならない、私はそのように考えます。
 このような反省に立ちまして、二十一世紀こそまさに、そこに住む住民、この人が主役でありまして、国家はそのために、住民の幸せに奉仕する政治、住民お一人お一人が、貧富にかかわらず、ゆとりと豊かさが実感できる、そのような地域社会をつくってまいる、そうあるべきであるというふうに私は考えております。
 そう考えたときに、我が国の新憲法、日本国憲法では、明治憲法になかった地方自治というものを第八章に起こして規定をいたしております。この地方自治というのは、地方自治の本旨に従いということで決められておりますけれども、二つの側面から考えられると思います。
 それは、一つは、国家の大きな統治機構の一環ではありますけれども、その地域のことは、地域に住む住民が自主的、自律的に決めていくことが望ましい、そのような地方分権というものに由来する団体自治を認めているということであります。憲法の九十三条一項では、地方公共団体の議事機関として議会を設置することを決めております。また、その二項では、首長の存在及び議員の存在を認めておりますし、九十四条では、地方公共団体に、行政の執行権能と、法律の範囲内ではありますけれども条例の制定権を認めておりまして、そのように、一つの自律的な、国家というものと対等、平等の関係にある地方公共団体というものの存在を、主権者である国民の総意として憲法の中に決めているわけであります。
 もう一つの側面は、そういう団体自治は、住民自治、すなわち民主主義の基本原理から由来する、そこに住む人たちがその内容を決めていくべきであるという住民自治の思想もそこに規定されているように思えてなりません。九十三条二項には、地方公共団体の長及びその議会の議員は、地方公共団体の住民が直接これを選挙すると規定しているわけであります。
 この住民、憲法上保障した住民の地方選挙権は日本国民だけであるというふうに私も解釈をいたしております。しかしながら、このような団体自治あるいは住民自治という原則からきた地方自治の本旨に顧みて考えたときに、その中に、日本人と変わりない生活実態を持つ外国人たる住民、そういう人がいらっしゃるわけであります。この人の中には、日本で生まれ、日本で育ち、そして日本で子をもうけ、営業し、そして日本の地で骨を埋めていくという人たちがたくさんいられます。こういう生活実態が我々日本人たる住民と変わらない人たちには、限りなく日本人と同様の扱いをしてしかるべきではないか。
 このような考え方から、我々は、法律に基づいてこの人たちに選挙権を付与すべきである、これが二十一世紀の共生社会、あるいは、質問者がおっしゃいました国際化の中で我々立法府としてとるべき立場であろう、こういうふうにかたく信じているところでございます。
 多少長くなりましたが、答弁といたします。
松浪議員 お答えいたします。
 西野委員から極めて高邁な御質問を賜りました。二十一世紀の我々の国のあるべき姿、それを、今回提案をさせていただきました永住外国人に地方参政権を付与する法案を通して述べよということでございます。
 その前に、きょうの本会議におきまして、人権教育、人権啓発を推進する法律が衆議院を通過いたしました。何としても我が国にある差別問題を二十世紀のうちに終わらせたい、そしてそのための法を完備したい、この思いから議員立法でつくられたものでありますけれども、そのような考え方が国会議員の中にあり、そして、そのことが一つの法律としてまとめられ成立するということを大変うれしく思うものであります。
 私は文教委員会に所属いたしておりますけれども、しばらく問題になっておりましたことは、文部省が認めていない大学を卒業した外国人を国立大学の大学院に進学させるべきかどうかという議論がございました。そこで、文部省は、受験を認め入学をさせるというふうに改めたところであります。
 このことは何を意味するかと申しますと、ありとあらゆる人たちに研究と学問の自由を与える、そして、ひとしく日本人と同じように物事をこの社会の中でしていただこうという考え方であります。こういう考え方はすべての面において広がっていかなければならない、これが私の考え方であります。
 人権の問題につきましては、既に外国では前世紀におおむね解決を図っております。けれども、私たちは本当に解決しただろうかと問われたときには、心もとない思いがいたします。そこで、今回提出させていただきました法律は、私は、政治的な黒船である、こういうふうに思っております。そして、黒船がやってきた、さあどうするか、我々議員として、心の鎖国を解くのか、それともそのまま心の鎖国を守り抜くのか、このことが問われ、そして審議されようとしている、このように私は理解をしております。
 二十一世紀は、申すまでもなく国際化社会であります。そして、永住外国人にありましては大変不幸な時代があったことは申すまでもございませんけれども、いろいろな面から考えたときに、委員が申されましたように、民主主義の円熟度が問われておる、そしてこの法律がそのリトマス試験紙である、私も同じ思いをしております。
 我々は、世界に日本が開かれた民主国家であるということを声高らかに宣言するために、何としてもこの法律を成立させていただきたい、こういう思いであります。日本国憲法の前文には、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」このように記述されてあります。私は、そのためにもこの法律を皆様方のお力で成立させていただきたいと心から願うものであります。
中野(寛)議員 お答えをいたします。
 かつての同志であり、しかも同窓の西野さんからの御質問でございますから、持っている国家観や理念、共有するものが多いと思います。そういう中での御質問でございますので、端的にお答えをさせていただきたいと思います。
 二十一世紀は、グローバル化、国際化の中で国際共同社会が一段と進むと思います。EUであるとか、そしてまたその他の国際会議は、そのような視点に立っての会議が数多く行われるようになりました。一方で、地方分権が当然進むと思います。
 そうなりますと、その国際共同社会と地方分権のはざまで、国あるいは国家の役割が薄れていくような印象を持たれることがあるかもしれませんが、そうではなくて、そのような社会が進みますと、国の果たす役割、アイデンティティーというようなものがより一層明快に出されなければいけないということにもつながってくる。国が果たした役割を、いろいろなチャンネルを通じてより一層効率的に実現しようとする社会だと思うのであります。
 そういう中で、在日外国人の皆さん、とりわけ永住者の皆さんとなりますと、我々とともに我が日本国の中で運命をともにしようとする人たちだと考えてしかるべきだと思いますが、そういう方々が、住民自治、地方自治の社会にあって、その判断、いろいろな場にともに参加をしていただくというのは、当然、我が国日本の社会の中にあって、より拡大されてしかるべきであろうというふうに思うわけでありまして、この地方参政権もその一環だと考えていただければありがたいと思います。
西野委員 各提案者の方、ありがとうございました。
 ところで、今一部触れられておるのですけれども、国と地方との関係におきまして、この問題での反対論者の方は、地方公共団体といえども国家の統治機構の一環である、さらには、国の運命に最終的に責任を持たないような外国人には参政権を付与すべきでないという論調が見られるわけであります。
 それに対して、賛成の立場からは、今もお話がありましたとおり、定住外国人というのは、日本で生まれ育って、教育を受けて、そして就職をして、結婚をして、我が国で骨を埋める、確実に我が国にもう帰属をされているというふうに思うわけですね。したがって、この永住外国人に対しては、可能な限り日本人と限りなく近い扱いをすることが先ほど申し上げた成熟した日本としての扱いではないか、このように思うわけであります。
 憲法九十二条の地方自治の基本原則の中に、地方団体の組織、運営については、地方自治の本旨に従ってとあります。このことは、一つには、国の機構の一環ではあるけれども、先ほどもお話があったとおり、地方に自主的、自律的にいわば団体自治を認めているということになると思います。さらに、昨年の七月、地方分権推進一括法が制定をされました。ここでは、国と地方は平等、対等の関係である、こう触れられておりますし、かつての国の事務は、機関委任事務としてありましたけれども、これまた法定受託事務として処理をされているわけであります。
 冬柴先生にお尋ねをしたいのでございますが、このようなことからいたしますと、国と地方のかかわりにつきまして、この地方参政権をどう位置づけるか、簡潔にひとつお願いしたいと思います。
冬柴議員 西野議員のおっしゃるとおりでございまして、私も同感でございます。
 国政と地方、これをどう考えるかということは、この法案の一番大きな問題点だろうと思います。国政、これは憲法一条にも書かれてありますように、天皇の地位ですら主権の存する日本国民の総意に基づくということで、日本国民が統治機構を決めていくんだということが書かれてあります。そしてまた、前文には、日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動するとも書かれてあります。そのような意味で、憲法四十一条は、国会は、国権の最高機関であって、唯一の立法機関であると定めております。
 したがいまして、私は、国政レベルは、十五条一項をまつまでもなく、公務員を選定し、及び罷免することは国民固有の権利である。その国政レベルにつきましては、日本国民以外の外国人に付与することは許されないというふうに考えております。
 しかしながら、同じ憲法の中で、先ほども御指摘ありましたように、「地方自治」という旧憲法にはなかった新しい章ができているわけでありまして、その中には、国家の統治機構の一環ではあるけれども、地方公共団体において、地域のことはそこに住む住民が自主的、自律的に決めることが、そこに住む住民のゆとりや豊かさを感じられる、また、地域の特性、伝統、歴史というものをその政治の中に生かしていける。また、身近であるがゆえに、その地域のニーズが政治の中で生かしていけるという特色があるわけでございまして、そういう意味で団体自治を認めているわけでございます。そしてまた、そこに住民自治を認めているわけでございます。
 そういう意味からして、私は、日本国民と生活実態においていささかの径庭もない、そのような永住される外国人、外国人というのはたくさんいろいろなパターンがあり、濃淡がありますけれども、日本に生まれ、日本で死んでいくという一群の人と、単なる観光で、あるいは就職で、勉学で日本に来られた方とは別異に扱っていい。私どもは、このような我々と全くと言ってもいいほど生活実態の変わらない、またコミュニティーもともにするこの一団の人たちは限りなく日本人と同じ扱いをすべきである、このような観点に立ちまして、この法律によって地方選挙権を付与すべきである、こういうふうに考えているわけでございます。
 したがいまして、これは国の統治機構と決して矛盾するものではありません。それは、地方自治の範囲は法律の範囲内においてということがしばしば書かれているわけでありまして、主権者である日本国民の意思はその法律の中にも盛り込まれているわけでありまして、地方自治はその範囲内で行われているということを考えれば、そこに、十五条等で盛られた精神、この法律によって永住される外国人の人々に地方選挙権を付与するということは、いささかも矛盾するものではない、私はそのように思っております。
西野委員 ところで、この議論を聞いていますと、参政権が欲しければ帰化すればよいではないかという言葉をよく聞くのでございます。
 我が国の場合では、御案内のとおり憲法二十二条第二項に、「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」とあります。外国人といえども、国籍を離脱するかどうかは、本人の、自己の意思、判断にゆだねられるものだろうというふうに思っております。また、そうしないからといって不利益を課せられることはないということであります。また、ある国では儒教の精神というのが相当ありまして、したがって、国を思う心、あるいは家族や親を思う心というものは相当なものがあると思っております。
 ところが、我が国のかなりの方だと思いますけれども、不思議なことに、私どもが生まれたときは、比較的神様にお参りをいたします。それで、結婚するときは、きょうもちょっとあるところで聞きましたら、何と神式でなくて、どちらかというと教会へ行って結婚式を挙げる。亡くなるときは、今度は仏さんへ行く。これまた日本の七不思議の一つかなと、私は自分ではそのように思っているのです。そういうことからすると、儒教の非常に強い国と私どもとは、大分そこらあたりに格差があるのかなというふうにも思っておるわけであります。
 そういうことからしましても、国籍はそう簡単に捨てられないという方も、私は理解ができるわけであります。ですから、帰化すればいいのだ、こういう言葉は、この姿勢、考えというものは、ちょっと時代的に合わない、時代錯誤があるのではないか、間違いではない、私はそのように思うわけであります。
 この辺につきまして、簡単にひとつ、冬柴先生、いかがお考えですか。
冬柴議員 国籍をどう選択するかということは、すぐれてその個人の判断に任されるべきことであって、他から制肘、容喙すべき事項ではない、このように思います。
 これは、国籍に関する自己決定権と講学上言われているものでございまして、根拠としては、今挙げていただきました憲法も、二十二条二項に「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」このようにも規定していますし、また世界人権宣言十五条の二項にも、「何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。」そのような定めもありまして、国籍の自己決定権、これはすぐれて個人の判断にゆだねられるべきであるということが言えると思うわけでございます。
 ところで、我が国の帰化の制度でございますけれども、これにつきましては、戦前、日韓併合条約等によりまして日本人とされていた人々、この人たちはもちろん兵役の義務を負いましたし、また選挙権、被選挙権も持っておられたのですね。昭和七年あるいは十一年に、朴春琴という人が東京選出で二回国会議員に当選された。当時、もちろん日本人でございますけれども、出身は朝鮮半島の人でございます。そのほか、昭和十七年には、各級選挙におきまして三十八人の地方議員が当選をしておられるということもあります。そのように、戦前は選挙権、被選挙権ともにこの人たちは持っておられたわけでございます。
 そういう人たちが終戦後、敗戦とともに選挙権が停止をされ、そして、ポツダム宣言受諾とともにこの人たちは選挙権を終局的に失った、国籍を離脱されてしまったわけでございまして、そういう一群の人たちを考えたときに、こういう人たちに対しての帰化の手続すら非常に厳格であるということを我々はよく知っております。
 例えば、民団とか総連、そういうところの役職員をやった人には、帰化はほとんど認められていないというのが事実でございます。そのほか、手続が非常に長い期間かかっています。その間に、例えば交通違反を起こした、あるいは軽微なものでも、そういうものが障害になって、もう一度やり直してくれと言われるようなことがあるわけでございまして、このような厳格なことを考えたときに、帰化を選べということは過酷に過ぎる、私はそのように思います。
 それともう一つ、帰化と本件とは両立するということを申し上げたいわけでございます。帰化をしたい人はしたらいいし、帰化でアイデンティティーをほうることはできないという人は、この法律によって地方選挙権を得られたらいい。
西野委員 それで、松浪議員にちょっとお尋ねしたいのですけれども、この帰化というのは、どちらかというと同化するというものと同じに理解されがちなんですけれども、国籍というのは必ずしも民族的な同化を意味しておらないと思うのですね。例えばサッカーの呂比須あるいは大相撲の小錦というのは、民族的に日本人だと思う人はいないと思うのですね。ところが、彼らは現実に日本人なんですね。
 今おっしゃったように、この問題は、各自のアイデンティティーを尊重したさまざまな日本人がこの社会におられる、そういう社会を私は目指すべきだというふうに思うのですが、スポーツマンとして、松浪さん、どう思われますか。
松浪議員 貴重な御意見をいただいた、こういうふうに思うわけでございます。
 私はスポーツ人類学者でございました。それで、我々日本人が誤解をしておるのに、大和民族という言葉がございますけれども、人類学的には大和民族という民族は存在いたしませんで、日本人は純然たる混血種の民族であります。それゆえに、血液型の種類は多岐にわたる、また顔の種類が最も多い民族、こういうふうになっております。したがいまして、我々は、歴史の中で一こまで生きておりますけれども、長い長い歴史の中において見たときには、肌が違う、目の色が違う、髪の色が違う。そのときは違和感があるかもしれませんけれども、だんだんと混血が増して日本人になっていく、そして日本の文化を共有するようになる、こういうふうに思います。
 いずれにいたしましても、心が日本人であれば日本人である、こういうふうに私は思っておりますし、その思いを日本人がひとしく持つような社会、これをつくっていかなければならない、こういうふうに考えるものでございます。
西野委員 時間がありませんので、最後に一つだけお尋ねをして終わりたいというふうに思っておりますけれども、憲法の前文に明確に「国政は、国民の厳粛な信託による」とあります。さらに、憲法の九十三条二項では、地方公共団体の長、その議会の議員は「地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」こうあるんです。
 そこで、地方の住民というのは永住外国人を含む住民を指しておるのか、それとも、住民は国民と解すべきなのか、ここらの見解について提案者の公明党の冬柴先生に最後にお尋ねして、終わりたいと思います。
冬柴議員 九十三条二項にある「住民」は、憲法が地方参政権、選挙権、被選挙権を保障した対象は、日本国民たる住民であると私は解釈をいたしております。しかしながら、法律によって、立法政策によって住民自治という、そこに住民という言葉が書かれているわけですから、住民自治の一つの内容として、日本人と変わりのない生活実態を有する、すなわち、その住所の属する地方公共団体と特別に緊要な関係を持つに至ったと認められる外国人に対して、一定の範囲の人に対して地方選挙権を法律によって与えるということを憲法は禁止しているものではない、そのように心から私は信じております。
西野委員 その他の質問につきましては、またの機会を得てお尋ねしたいと思います。ありがとうございました。
自見委員長 遠藤和良君。
遠藤(和)委員 私、三十分ですから、短い時間ですから余り演説しないですから、説明もできるだけ短くして、端的にお答え願いたいと思います。
 最初に、憲法との関連でお伺いします。
 これは提案者皆さんに聞きたいのですが、参政権の中には、大別いたしますと、国政の選挙権、被選挙権、そして地方自治体の首長並びに議員の選挙権、被選挙権があります。このほかにも最高裁判所の裁判官の信任とかいろいろあるんですけれども、この四つに大別いたしまして、提案者は、自分の所属する政党の見解でもいいし、あるいは個人的見解でもいいですが、それをどういう立場で答えるということを明確にした上で、それぞれ、違憲、合憲、はっきり結論だけ言ってください。
冬柴議員 もちろん私個人の意見ですけれども、この提案は公明党の政策としてでも提案をいたしておりますので、公明党も一緒だと私は思いますが、まず国政レベルの選挙権、被選挙権は、ともに主権者である日本国民のみに付与されるべきものであって、憲法上は、それ以外の外国人に付与することは許していない。根拠は長くなりますから避けます。地方選挙権におきましては、憲法は、日本国民たる住民に選挙権も被選挙権も保障をしていると考えます。
 しかしながら、立法政策として、本件提案のような法律に基づいて、外国人の中でも、その属する住所のある地方公共団体と特段に緊密な関係を有すると認められる一群の外国人の方々、例えば永住者等に対し法律をもってその選挙権を付与することは憲法の禁ずるところではない、このように思っております。したがって、こういう法律が成立すれば与えられることであり、それは合憲である、このように思っております。
 被選挙権につきましては、理論上は認めてしかるべきだというふうに私は考えておりますけれども、現時点における国民感情、選挙権だけ付与することでも多くの反対をする方々がいらっしゃるわけであります。そのような中にあって、こういうものを早く成立させるという政治目的に従って、今回は選挙権の付与にとどめ、被選挙権は、私は法案の中では提案はいたしておりませんけれども理論的には認めてしかるべきものであろうというふうに考えておりますが、それは将来の国民が議論すべきものであって、現時点では議論をする対象にすべきではない、私はそのように思っております。
松浪議員 提案者冬柴議員と全く同じ考えでございます。
 立法政策としてこの委員会で幅広く御審議をいただいて、そして皆様方の御理解を賜りたい、このように望むものでございます。
中野(寛)議員 お答えをいたします。
 国政レベルの選挙につきましては、選挙権、被選挙権、ともにこれは、当然、日本国籍を有する者でなければできないもの、これは憲法上もそうであると考えておりますし、国際的な常識でもあると考えております。
 地方選挙につきましては、ともに直ちに憲法違反だとは考えておりませんが、知事や市町村長などについては、例えば、日本国内どこに住んでいても日本国民であれば立候補できますし、就任の資格を持っております。しかし、選挙権の方は、その地域の住民でなければ選挙権が認められていないわけでありまして、これは立法政策上も分けられております。
 今そういう中で、我々としては、日本の国民の議論のプロセスも考え合わせながら、選挙権、いわゆる投票権に絞った御提案を申し上げているということでございます。
遠藤(和)委員 永住外国人の参政権付与について、国政の場合は選挙権も被選挙権も違憲である、しかし、地方自治体の首長並びに議員の被選挙権あるいは選挙権については合憲である、こういうふうな理解でよろしいわけですね、今理論上という話をされたわけですけれども。これは明確に、立法府の人間として、合憲である、しかしながら、現在は選挙権についてのみ立法行為を行っている、こういうことでございますね。したがって、地方自治体の首長並びにその議員の被選挙権については今後の検討課題である、このように整理させていただいてよろしいですね。三党の皆さんとも同一見解と理解してよろしゅうございますか。――はい。うなずいていらっしゃいますから、答弁は求めません。
 そうすると、今回、特に地方自治体の首長並びに議員の皆さんに対する選挙権に着目をいたしまして、それを付与しよう、こういう法案をお出しになりました。公明党そして保守党、民主党さん、お出しになったのですが、出された法案は句読点まで同じのそっくりな法案でございますものですから、御答弁をだれに願っても同じではないかなと思いますものですから、基本的に冬柴さんを中心に聞きまして、それ以外に、私はこう思うという異論、補足答弁等がありましたらぜひお願いをしたい、こう思っております。特に、今回、選挙権に限って付与しよう、こういうふうな積極的な立法の理由、意図、それは具体的にどこにあるのかということをぜひ明確に述べていただきたいと思います。
冬柴議員 一言で言えば、地方のことは、そこに住む住民が自主的、自律的に決定することが望ましい。そしてそれは民主主義の要請でもあって、住民自治あるいは団体自治、こういうものがその要請に基づいて、新しい憲法の第八章に一章を起こしまして、国家機構の一環ではあるけれども、そこに国家と対等、平等の関係にある地方公共団体というものをつくり、そしてその中で、住民参加のもとに、そこに住む地方公共団体の公共的事務というものはそういう人たちが参加して行うということできめの細やかな行政の執行が期待できる、こういうことに尽きるわけでございます。
 では、そこに住む住民とはだれか。そうなりますと、住民は、日本国民たる住民と外国人たる住民の二種類しかないわけでございます。これは、国籍法で要件に該当した人は日本国民になりますけれども、それ以外の人は外国人と立て分けられます。
 その外国人の中にも濃淡がありまして、戦前から日本にお住まいで、そしてそのときは日本国民であったけれども、日本国との平和条約の締結によって国籍を離脱したという一群の人たちがいられます。そしてまた、その人たちの子孫が今四世、二万人にも達してこの国には住んでいられます。
 この人たちは同じ東洋人でございまして、我々と肌の色も身長も目の色も、そしてまた同じ漢字文化圏に属し、同じ思想あるいは論語による儒教思想、あるいは仏教もあの地を経て伝来しているわけでございまして、そういう二千年を超える長い友好の歴史を持った一衣帯水のこのような国々出身の人たちが、あるときは日本国民とされ、そしてあるときは国籍を離脱した、そういう歴史を持った人がいらっしゃいます。
 こういう人たちと、あるいはそれと類似した関係がありますけれども、生涯日本で住むことが期待される一群の人たち、これは同じコミュニティーを形成しているわけでございますから、そういう人たちに対して地方の政治に参加してもらいたい、こういう思いが私どもはあるわけでございます。また、憲法でもそれは禁止をしていない、こういう考え方に立っているわけでございまして、私どもの提案はそういう理由でございます。
 ただ、その中で、被選挙権まで加えるということは、例えば共産党が提案されました同じ名前の法律では、被選挙権も付与することになっております。しかしながら、今の日本の現状を見たときに、このような法律が被選挙権まで入れて成立することができるのかどうか考えたときに、私は悲観的な感じを持ちました。したがいまして、今回の提案は選挙権のみにとどめたわけでございまして、これが定着をし、そして国民の間でまた将来、被選挙権についてどう議論するか、それは将来の国民にゆだねた方がいいだろう、このような考えで私どもはこれを提案したわけでございます。
遠藤(和)委員 国籍との関係で申し上げますと、選挙権を得たいのであれば国籍を取ればいいのではないかという主張をされる方がおります。あるいは、現在、本当に帰化を希望しても手続が大変面倒だからなかなかすぐに取得できない、面倒くさくなって国籍を取れない、そういう人たちに対してもっと手続を簡素化していってあげればそれで解決するのではないか、こういうふうな主張をされる人、あるいは、二重国籍を取っていいというふうにしてしまえばいいのではないか、国籍との関連ではそういう議論があるわけですが、そのおのおのについてどのように考えますか。
冬柴議員 私は、帰化手続をもう少し手続自体緩和して、本当に日本国籍を取得したいという方々に対しては、その意思に沿うような手続が早急にとられるべきだろうと思います。しかし、これは本法律案以上に実際は難しいのではないかと私は思います。なぜならば、我が国は血統主義をとっております。そして、二重国籍を認めません。日本国籍を取る場合には、その前提として、旧来の母国、今までの母国とされてきた国の国籍を離脱しなければ与えられないという構成をとっております。
 しかしながら、外国では、例えばドイツではことしから二重国籍を認めるとか、あるいは出生地主義、生まれた土地の、生まれたときからその国の国籍を取得できる。例えばアメリカとか、フランスの三世は生まれたときからその国の国籍を取得することができて、二重国籍すら認める。こういうようなラフな考え方で国籍を考える国であれば、これは余り大きく問題にならないんだろうと私は思いますけれども、我が国は非常に厳格に血統主義を貫き、帰化手続を非常に厳格にしているがゆえに、国籍を離脱するのが嫌だという人たちに対しては本法のような参政権を与えるような法律も必要であろうし、また、私が先ほどるる申し上げたような歴史的な背景のある人たちについては、申請すればすぐに帰化されるような手続がとられてしかるべきだと私は思います。
 しかし、それは選択的にどちらかやればどちらかは要らないという関係ではなしに、やはり両方やるべきである。帰化すべきだという論者は、その帰化手続を簡易化する立法努力をされるべきであろう、私はそのように思います。
松浪議員 二重国籍の問題でございますけれども、私は、いたずらにこの国の国籍法を変えたりする必要はない、だから、原則として二重国籍を認めるべきでないという考え方を持つものであります。
 今から二十数年前、私の長男がアフガニスタンという国で生まれました。そのとき、アフガニスタン政府から、子供の国籍をどうするかという問いがありまして、我々親が勝手に日本にしようということで日本に決めたわけであります。
 それで、日本で生まれたから日本国籍を与えるということの考え方、これも一つの考え方でありましょうけれども、幼い子供には判断能力はございません。そうなりますと、両親は、とりわけ、西野委員からお話がありましたように、儒教精神があり、祖国を愛する、祖先を愛する、そういうふうな豊かな温かい心を持つ人であるならば、当然のことながら祖国を国籍とするでありましょう。しかし、長い間ずっと日本で生活をするということになれば、だんだんその意識が希薄になり、そして国籍云々の問題について議論する必要がなくなるだろう、私はそう思うわけです。ところが、戦後まだ五十数年でありまして、まだまだそういうことをはっきりする時期にない、このように私自身は認識しております。
遠藤(和)委員 先ほど、特別永住外国人の過去の経過の一端をお話しになったわけですが、その過去の経過の一端に留意いたしまして、この法案をとりあえず特別永住外国人のみに適用して一般の永住外国人と分離してはどうか、こういう意見がありますけれども、その意見についてどう考えますか。
冬柴議員 私は、永住者という、特別永住にしろ一般永住にしろ、生涯をこの国で終わろう、そのような考えのもとに、生活圏も財産も、そして親族も友人も営業も皆この国にある人たちを特別永住と一般永住で区別するというのはいかがなことかというふうに思います。
 しかしながら、この法律を一日も早くするために、この委員会で合意が得られるのであれば我々はそれには固執はいたしませんけれども、しかしながら、私の考えとしては、提案どおり、一般永住の方も生涯をこの国で過ごそうという覚悟があるわけでございますから、私はそういう人たちを区別すべきではない、このように思っております。
中野(寛)議員 一言私どもからもお答えをいたします。
 やはりこの問題は、過去の日本の犯した行為に対する贖罪というような形でなすべきではなくて、あくまでも未来志向的に、日本の人権、民主主義の成熟度が問われるという意識でやるべきだと思います。
 そういう意味で、協定永住の皆さんのみに絞りますと、前者の色彩が強くなってきます。また、協定永住者の皆さんも、決して自分たちだけを望んでいるわけではありません。一般永住者の皆さんとともに、日本の開かれた人権意識の中でこの地方参政権が認められることを望んでいるということなどをも考え合わせますと、私どもは、それを区別しないということが的確な政策だというふうに考えました。
遠藤(和)委員 私も今の中野さんと同じ意見でして、この法案というのは二十一世紀の世界に対する日本のメッセージだと思うんですね。日本の国が開かれた民主主義国家である、そういうことを世界にアピールする法案だと私は位置づけています。ですから、法のもとに平等でございまして、そうしたことを宣言する方に大きな政治的なインパクトがある、私はこう考えておるわけでございまして、この法案をそのままぜひとも成立させたいと考えております。
 それからもう一点、こういう意見があります。この法律を実際に実施するかどうかは地方自治体の判断に任せる、そういうふうな形の法案に修正してはどうか、こういうふうな意見があるわけでございます。要するに、法律としてつくるけれども、実際にそれを実施するかしないかは地方のそれぞれの自治体が議会で判断をする、こういうふうな条項をつけてはどうか、こういう意見でございますけれども、それについてはどのように考えますか。
冬柴議員 私は、やはり国会の法律に基づいて一律に決めるべきだというふうに思います。現在までの選挙法におきましても、法律によって定めるということが憲法上規定されておりますけれども、それに基づいて制定されている公職選挙法は全国一律でございます。また、この法案自身も、私ども起草するに当たりまして、それを前提に起草している部分が多々あります。
 私は、その意味で、各自治体で区々に選挙の方法とかあるいは被選挙権付与についてまで区別をされるということになりますと、アメリカの今回の選挙、あそこは州でございますので、いろいろなやり方が違うことは当然でございますけれども、日本におきましては法律において画一的、一律に決めるべきである、このように思っております。
北橋議員 基本的に国会で立法化を図るべき問題だと思っております。
 その一つの根拠といたしまして、地方議会の首長の皆様へのアンケートがございますが、反対は一人だけで十人が付与すべきということでございますが、八割に及ぶ首長の皆さんは国会での論議を見守りたいと答えておられまして、まさに国政の場にいる我々の責任が問われている、このように考えております。
 私どもは、平成七年の最高裁判決を画期的な判決、重要な理論的根拠にさせていただいておりますが、これは憲法解釈、つまり国政の根幹にかかわる問題でありますだけに、ぜひともこの国会におきまして円滑な合意形成を図るのが望ましいと考えております。
遠藤(和)委員 わかりました。
 それから、地方自治体の選挙権を与えるということは、地方自治体が行います住民投票にも投票権を与える、こういうことでございますね。
冬柴議員 憲法上規定されている住民投票には参加することができません。例えばその一地方のみに適用される法律を国会で定立する場合、これはやはり国政レベルの判断でございます。したがいまして、それには参加できないように構成がされてあります。また、日本国憲法の改正規定が九十六条にありますが、これも私どもは消極意見でございまして、本法案には参加は予定をいたしておりません。
遠藤(和)委員 法律で定められた住民投票ではなくて、地方自治体が条例で定める住民投票がありますね。これには参加することはできますね。
冬柴議員 それは可能であると思います。
遠藤(和)委員 その場合、その住民投票にかけられる議題が、例えば米軍基地の縮小だとか撤廃だとか移転だとか、そういう問題が住民投票にかけられることが考えられます。そうすると、永住外国人がその住民投票に参加するということは、国の大事な統治行為である安保防衛問題について外国人の意見を聞く、こういう形になるわけでございますけれども、それはそれで差し支えない、こういう理解ですか。
冬柴議員 それは、局限されたその地域のことは、地域の住民たちが自主的、自律的に判断をする、そういう立場に立たなければならないと思います。したがいまして、それが国政を拘束するかどうか、そういうことはあり得ないと思います。したがいまして、それは一つの意見としてそういう集約をされることは憲法が禁ずるところではないし、また、この法律と矛盾するものでもないというふうに思います。
遠藤(和)委員 確かに、条例で定める住民投票が法的拘束力を持つことはできないわけでございます。しかもそれは、外国人といっても一人の住民としての意見であって、住民の意見を集める中に外国人の意見も入っていた、こういうふうな整理で行えば、そのかけられた議題が安保防衛というふうな国家の統治行為にかかわるものであっても、それはその地域の住民の意思という意味の集約でございました、こういうことになるんですけれども、ただ、住民投票の結果というのは時に政治的に大きいインパクトを持つわけでございまして、そうしたものが政治的には大変な拘束力を持つ、こういう意味が出てきます。
 これをどう理解するかというのは、法律的な話はわかりました。ただ、政治的な問題として少し議論をしておく必要があるのではないかな、こう思ったものですから提案をさせていただいたのですが、もっと明確な御答弁がありましたらお願いします。
冬柴議員 まさにこれは、そういう議論をこの場で今やっているわけでございますから、そういうものは不都合であるということであれば修正をされたらいいわけでございますが、私は、これが国政を拘束するものではないと。いろいろとあります。しかし、国の基本に、根幹にかかわることは、地方分権推進法におきましても、第一条で、外交、安保、経済政策あるいは国が一律に取り扱うべき事務は国の事務である、そしてその余の事項は地方のものである、このようにされているわけでございます。
 しかも、このような権利を与えるかどうかは、国権の最高機関である国会が、いわゆる日本国民だけの信託に基づいて我々は今働いているわけで、その国会で決めることでございますから、どうぞ自由な議論の中で決めていっていいけれども、地方のことは地方に、そこに住む住民が自主的、自律的に決める、そういうことがいいと私は思っております。しかし、それは国会、国を拘束するものではない、法律の範囲内のことである、こういうふうに思っております。
遠藤(和)委員 確かに、国と地方の役割をどう明確に分担するかという議論をきちっとする必要があると思うんですね。やはり国の事務を特化するといいますか、安保、防衛とかいうのは国の事務であるというふうにきちっとする、ただ、例えば経済振興だとか地域振興は地方の事務である、こういうふうに国の事務を少し明確にした政府をきちっとつくる、そして名実ともに国と地方が分離されている、こういうふうになれば、地方自治体の選挙権のみならず被選挙権においても、地域の住民たる永住外国人が参加することは何ら異議がない、こういうふうな明確な議論になるのではないかなと思うんですね。
 ですから、これは、今回は永住外国人の地方選挙権付与の法案なんですけれども、その背景として、国と地方の役割分担の明確化といいますか、そういうものをきちっと、今後のこの国の形をどうつくるかという中で整理して議論をすべきではないのか、このように考えますが、どうでしょう。
冬柴議員 全く同感でございますし、私は、実は平成七年に地方分権推進に関する法律案というものを代表提案人となって提案をした一人でございます。
 それは第一条が、今言いました国と地方の事務の分担に始まっているわけでございます。それは我々が先に提案をいたしましたが、後に閣法で地方分権推進法という名前で提案された法律が成立をして、そしてことし、それについての四百七十五本にも及ぶ法律が一括法として成立したことは御案内のとおりでございまして、国と地方の事務は、ここのところ、この数年の間に急速に整理はされているわけでございます。その中で、国と地方は対等、平等、いわゆる国家行政組織法十五条というような機関委任事務の規定も削除をしまして、そして法定受託事務という形と固有事務に分けたわけでございまして、そのように国と地方は事務を分担しているわけでありまして、その一条でも外交や安全保障というものは国の事務として立て分けられているわけでございます。
 したがいまして、その範囲内で地方は行政事務を執行することができるわけでございまして、条例も、定立は法律の範囲内というふうに規定されているわけでございますから、その範囲内で行われることが至当だし、そういうふうに立て分けられていると思います。
遠藤(和)委員 時間が参りましたので終わります。ありがとうございました。
自見委員長 玄葉光一郎君。
玄葉委員 民主党の玄葉光一郎です。
 民主党としての最初の質問者であるということもありますので、簡単な民主党としての経緯を若干申し上げたいと思いますけれども、実は民主党は、永住外国人の地方選挙権付与については結党の基本政策に既に入っております。同時に、選挙公約でもこれを掲げて、九八年から法案を提出し続けているという状況でございます。
 この間、私の知る限り、大変失礼ですが公明さんのことはわからないので、民主党だけ申し上げますが、そちらにお座りになられている中野先生や北橋先生が中心になられて、正直これはいろいろな意見があります、ですけれども、困難を乗り越えてまとめてこられた。こういう経緯でありまして、ヨイショするわけではありませんけれども、提案者の方に敬意を表したいというふうに思います。
 そこで、冒頭、通告しなかったんですが、ずっとお聞きしていて、素朴な疑問でお聞きをしたいことが一つあります。それは、両法案、同じ内容の法案、句読点一つ変わらないというふうに思いますけれども、これはどうして別々の法案なのか。修正のことをお考えなのかどうなのか。一言ずつ触れていただければありがたいと思います。これは通告しなかったんです。済みません。
中野(寛)議員 最初の法案提出は、御存じのように、公明党さんと民主党と共同提案でございました。もう少し振り返りますと、その共同提案をいたしました過程の中で、新進党時代は私と冬柴さん同じ立場でございましたので、同じそのためのプロジェクトチームで一緒に作業をさせていただいた。ある意味では、実務的に冬柴さんが大変御苦労をいただいた法案でございます。
 当初、共同提案でございましたので、その後、我が民主党としては、引き続いて共同提案を与野党に分かれてもし続けたいという気持ちがございましたけれども、これから先は冬柴さんがお答えになると思いますが、与党内の理解をより一層強めていく、深めていく、そのことのために与党は与党としてお出しになりたいというお気持ちがあったのだろうと思います。
 よって、その後、それぞれに分かれましたけれども、我々は、玄葉さん先ほど言われたように、終始一貫変わらない姿勢を持っておりましたので、一番最初に公明党さんと共同提案をした法案をそのままその後も出し続けてきたという経緯でございます。
    〔委員長退席、小林(興)委員長代理着席〕
冬柴議員 今中野提案者がおっしゃったとおりでございますけれども、私ども二人とも日韓議員連盟に加入しておりまして、その中で、平成六年、我々下野をした後に、私に日韓議員連盟の中の在日韓国人の法的地位向上特別委員長を引き受けてほしい、このようなことを日韓議連の当時の竹下会長あるいは幹事長の石橋一弥先生から言われました。
 そして、その議論の中で、もう古くから、それこそ古くから日韓議員連盟におきましてはこの問題がずっと討議をされてきた、そういうところへ私は飛び込んだわけでございまして、私の相手方、パートナーは、後に法務大臣になった朴相千という人ですけれども、大変な理論家でして、がんがんやり合ったことがあります。もちろん中野先生も一緒でした。
 しかしながら、そこには、今るる述べますように、日本の法制度として憲法上まだ解決されていない問題はあるものの、言われることは、これは納得できるという感覚に至ったわけでございまして、自来、日韓議員連盟の共同声明というものの中には、こういうものに積極的に取り組んでいく、また、最終的には、昨年でございますが、十一月の日韓議員連盟総会におきましては、連立与党内で真剣な論議が始まったという状況を説明いたしました。早急なる実現のため積極的に努力するとも述べたということで、日韓議員連盟で双方このような確認をしたといういきさつもあります。
 そういう流れの中で、この法案について、私は平成七年二月二日の衆議院予算委員会でも時の総理に質問をいたしましたけれども、そのときには、問題の憲法九十三条二項に言う「住民」と地方自治法第十条に言う「住民」との関係についてまだ最高裁判所の判断も出ておりませんが、しかし、実情はよくわかります、前向きに検討しますというのが、当時の村山内閣総理大臣の答弁でございました。
 ところが、その二十六日後の平成七年二月二十八日に、最高裁判所第三小法廷が、五人の裁判官、全会一致で、こういうことを与えることは憲法の禁ずるところではないという判断を示されましたので、こういう学説はあったんですけれども、それに力を得て、中野さんともども法案をつくろうじゃないかという努力をしてきたわけでございます。
 そういう流れの中から、その後、私どもは与党に入りまして、連立与党に入る平成十一年十月四日の三党合意の中で、自由民主党、自由党、公明党の三党合意の中で、これについては改めて成案を得て、成立をさせるという合意ができたわけでございます。したがいまして、これに基づいて、その後、自由党あるいは保守党と我々との間でこの法案を提案してきた。残念ながら、自由民主党の中でまだ一部意見の調整がつかないということで共同提案ができなかったんですけれども、しかし、公党間の約束として、これを成立させるということは約束されているわけでございます。
 そういうことから我々としては今日に及んでいるということでございまして、最初につくった法律案が、我々が出したものも、民主党さんが出していられるものも、あるいは共産党さんが出しているのもほとんど同じでございます。原点は一つだったからでございます。
玄葉委員 いろいろ申し上げたい気持ちにはなっているんですが、中身に入れないので、中身に若干入っていきたいと思います。
 この永住外国人に地方選挙権を付与するということについて、その思想的根拠は趣旨説明でそれぞれおっしゃっていただいたと思います。同時に、公明党の冬柴提案者からは先ほど来から話が出ておりますので、ぜひ民主党の提案者に、この思想的根拠、特に、いろいろな意見がありますから、わかりやすい説明、積極的な根拠、そういう観点からお答えをいただければありがたいと思います。
北橋議員 民主党結党時に、外国人との共生、人権問題につきまして、定住外国人の地方参政権に関するプロジェクトが設置されまして、中野議員の指導のもとに座長を仰せつかりました。
 先ほど来御説明ございましたように、民主党は、結党以来、我々の二十一世紀に向けてどのような国家をつくっていくのか、その基本的な理念としまして、地球社会の一員として、自立と共生の友愛精神に基づいた国際関係を確立する、隣国から信頼される、海外から信頼される国を目指す。そして、国内におきましては、人権上、差別ということでいろいろな問題が指摘されてきたわけでございますが、アイヌなど少数民族、被差別部落の皆様、あるいは障害者や難病の患者の皆さん、いろいろと日本の社会には残念ながら差別がたくさん残っている。その中に、在日外国人の皆様方にとりましてもぜひこれは解決をしてもらいたいといういろいろな問題、それは差別という現象にもつながっている、こういった問題を、我々として、党を挙げて解消に取り組んでいくことを一つの綱領として定めたわけでございます。
 以来、永住者や在日外国人の方々にとりまして、行政参加にあらゆるチャンネルでチャンスを拡大していこう、そして、我々日本人としても、一部にはまだ外国人に対して心の扉を閉ざしている方もいらっしゃるかもしれませんが、共生の町づくり、社会づくりを進めていこうということで取り組んでまいりました。
 特に、中野議員が前国会において答弁をしておりますけれども、この在日外国人をめぐる状況という問題では非常に長い歴史がございまして、御案内のとおり、例えば公営住宅の入居資格でありますとか、公的資金の融資の権利でありますとか、あるいは何かあったときに指紋押捺という問題で、非常にこれは人権上問題がある、長い間、日常生活に密着した問題から社会保障制度にかかわる問題まで、たくさんの課題があったわけでございます。それを一つ一つ解決していくことが、私どもの考える人権の発展、民主主義の発展、外国人との共生という我々の結党以来の理念に基づくものでございます。
 今回、この国会で、一部の議員から、憲法違反ではないかといういろいろな議論がございますが、確かに、憲法解釈というのは、例えば自衛隊一つをとりましても、かつては憲法違反だという学者や評論家が大変多かったわけでございますが、時代の変遷とともに、国民世論とともに、解釈は変遷していくわけでございまして、この「国民」あるいは「住民」の解釈につきましても、学説は諸説あると思いますけれども、そういった長い歴史の憲法学者の議論の中で、平成七年の最高裁判決というのは画期的な判決だと私ども心得ております。
 そこで、積極的な理由というお話でございますが、私ども民主党の考える理念、運動というものとはまた別としまして、この最高裁の判決をごらんになられましたら、「国民」の解釈、「住民」の解釈、憲法十五条、九十三条の解釈におきましては、従来の通説を大きく乗り越えるものではございません。むしろ通説の延長上にあります。
 しかし、問題はそこからでございまして、なぜ、これは憲法違反ではないんだ、立法政策上の問題だと明言したかといいますと、民主主義社会における地方自治の重要性であります。そして、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づいてその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨だ。まさに地方分権を推進する、民主主義を発展させるという見地から理論づけたわけでございまして、私どもはそういった発想に立って、積極的に付与を実現していきたい、こう考えているところであります。
玄葉委員 結局、暮らしと密接にかかわる地方行政にあって、先ほど来から出ている言葉で言えば、特段に地域と関係を持つに至った外国人の皆さんが、ガスの問題とかごみの問題とか水道の問題で意見が言えないというのはどうなのかということでもあるのかなというふうに思いますし、また、先ほど共生社会という話が出てくる中で、国民と外国人、こういう二つの分け方だけでなかなかカバーできない領域というのが、現実にどういう民主主義をつくるのかという観点で考えていったときにあるかもしれぬな、その領域をカバーしなければいけないなというのも、私自身の思いの中にあるということも申し上げておきたいと思います。
 そこで、今、憲法の問題にも北橋先生が触れていただきながら答弁をしていただきましたから、二つ目三つ目に質問をしようとしたところは大体答弁をしていただいたのかな。要は、憲法上保障されているものではない、最高裁で平成七年二月二十八日、判決があったけれども、必ずしも憲法上保障はされていないけれども、立法政策として行うことは違憲じゃないんだ、こういう判断なんだ、まさに立法政策なんだ。ということは、結局、先ほどの冬柴先生の答弁ともある意味ではほぼ同じということなのかなというふうにも聞きました。
 そこで、今まで出なかった点を少し触れますと、相互主義という問題があろうかと思います。つまり、諸外国の例を見ると、スペインとかポルトガルとか地方選挙権を与えている国々の中に、相互主義をとっている、いや、むしろこれが普通ではないか、こういう意見がいろいろあるわけです。
 つまり、自国の国民に対して、その国民がまさに海外でいわば定住外国人になって、これは言葉が適当かどうかは別として、参政権を与えている国の国民に対してのみ与えるんだという相互主義というのが一つあると思うんですが、今回の法案を見ると、この相互主義をとっていないですよね。もっとも、韓国の大統領の発言、あるいはこれからの動きというものはありますけれども、基本的に、この法律の構成としてはとっていない。どうしてとらなかったのかということを、これも民主党の提案者にお聞きをしたいと思います。
中野(寛)議員 お答えをいたします。
 これは、言うならば、相互の国あるいは国民同士の利害得失の問題ではなくて人権上の問題である、そして、それは日本の独自の人権に対する判断と立法政策、その中で取り組まれてしかるべきものだというふうに考えております。
 今、諸外国で定住外国人の地方参政権を認めている国、これは国政はあり得ないと思いますが、そういう国々でも、今御質問されましたように、相互主義をとっているところと、そうでない、幅広く考えているところとあります。そういう意味では、我々としては、必ずしもこの問題について相互主義をとらなければいけないということではないだろうと考えましたこと。
 もう一つは、一般永住者は別にいたしまして、特別永住者の皆さんは、先ほど来たびたび触れられておりますように、特別の歴史的経緯があるということなどをも考え合わせますと、決して贖罪ではなくて、日本の国籍を強制的に押しつけられ、またその後国籍を変えられたという経緯などを考え合わせますと、これは相互主義というよりも、日本の独自の歴史と、そして今後の人権思想、民主主義の成熟という視点から考えた制度たるべきものであろうというふうに考えたということでございます。
 ただ、ちなみに、この法律ができることによって一番数多く該当します方々は在日韓国人の皆さんであるわけでありますけれども、韓国においても、相互主義ではなくて、しかも永住ではなくて定住外国人に地方参政権を与えるという政府の方針が決まり、そして、今後国会で前向きの論議をなされる段取りがついているというふうに聞いております。
    〔小林(興)委員長代理退席、委員長着席〕
玄葉委員 今、在日韓国人、在日朝鮮人、在日台湾人といったいわゆる特別永住者の話がありましたけれども、朝鮮総連は反対しているじゃないかということがよく言われるわけであります。朝鮮総連のこの反対論について、これは民主党、公明党、両提案者にお聞きしたいと思いますけれども、どういうふうにお考えになっておられますか。
中野(寛)議員 特定の団体、また、先ほど御質問があった相互主義ということでもないわけでありまして、特定の団体の賛否によってこの法案が左右されるべき性格のものではない。日本国内における在日外国人の皆さんの人権の許容の幅を広げるということでございまして、その権利を行使するか否か、取得するか否かは、これは登録制になっておりますから、それぞれの皆さんの判断にゆだねられる。言うならば在日外国人の皆さんの権利を拡大するという法律でありますから、繰り返しますが、特定の団体の皆さんの賛否によって左右されるべきものとは考えておりません。
冬柴議員 今の答弁と同様でございます。
 立法行為、立法作用というのは国権の最高の作用だ、これは他国から制肘を受けたり容喙を受けたりするものではない、我が国の立法府において判断をすべきことであるというふうに考えております。
 しかしながら、無理があってはいけませんので、申請登録主義をとっております。外国人選挙人名簿というものをわざわざ調製いたしまして、どうしても欲しいという方についてはそれに申請をしていただく、それで登録されることによって選挙権を付与するという構成をとっているわけでございますから、そういうものは要らないんだという方は申請されないでありましょうし、私どもはそういうふうな扱いでいたしております。
玄葉委員 わかりました。要は、申請主義をとっているので申請がなければ認めないんだ、こういう話なんだろうというふうに思います。
 これも基本的論点なんですが、先ほど来からも出ていましたので、もう公明党の提案者の方はお答えになられていますので、民主党の提案者に問いたいと思いますが、国籍を取得したらいいじゃないか、帰化したらいいじゃないかという議論がやはりよく出るんです。しかも、その取得のための条件を緩和すべきではないかと。先ほど答弁の中にもありましたけれども、この件については、民主党の方ではどのようにお考えになっておられますか。
中野(寛)議員 この件については先ほど冬柴さんがお答えになりまして、私も同意見でありましたのであえて重ねての答弁を実はいたしませんでしたが、以前にもちょっと申し上げたことがありますが、在日外国人の皆さんに申し上げたことがある、皆さん、あなた方はいつまでエトランゼでいますか、永遠のエトランゼでいるのでしょうかと。むしろそのことを私は問題点として投げかけました。しかし、それは逆に、日本側から再び強制するものではないというふうに考えました。
 ですから、例えば国政レベルの選挙は国籍要項に限定されるというふうに思いますが、しかし一方、帰化の条件を緩めてでも国籍を取得させるべきではないかという議論に対しては、私は、そう簡単に帰化要件を緩めるということはいかがなものであろうかと。いろいろなケースがあるわけであります。むしろ、先ほど来言われておりますように、特別永住者の皆さんのような歴史的経緯がある方々については、帰化とは別に国籍取得権というような形で、申請登録というような形で認めるということが検討されてもいいことではないかというふうに思いますが、これはしかし、当事者の皆さんがその選択権が与えられることを望むということが第一条件であろうというふうに思う次第であります。
 この地方参政権の問題は、そういう意味では、国籍に対するいろいろな方々の感情を考えて、そう安易に国籍云々ということを考えるべきではないものだというふうに考えております。
玄葉委員 それと、地方の被選挙権を除外した理由も実は聞きたいのです。
 どうしてかといえば、先ほど冬柴提案者は、理論的にも可能ではないかというお話でありましたけれども、私個人は、本当に理論的に可能なんだろうか、かなり厳しいのではないだろうかと。なぜかといえば、首長さんや議員になれば、国家意思の形成に何らかの形でかかわっていく可能性というのは結構高まりますので、そういう意味では理論的にむしろ厳しいなというのが私の印象なんでありますが、先ほど可能じゃないかというお話がありました。その点について簡単に触れていただければと思いますし、できれば民主党の提案者からも簡単に一言触れてもらえればと。
 同時に、もう時間がありませんから、冬柴先生には、この法案の成立は、公明党、もちろん民主党、保守党にかかっているわけでありますが、特に公明党が最大のポイントになっていることは間違いないわけであります。ある意味では本気さが問われているということも言えないわけでもない、見られているわけでもありますが、その点についての決意もお聞かせをいただきたいと思います。
冬柴議員 私は、平成六年からずっとやってきたということも申しましたし、これは、公明党、その前の新党平和時代から、真に必要な法律である、我々はこの考え方にいささかの違いもありません。
 国民の多くが望んでいる法律です。地方自治体のうち千四百三十九地方団体で与えるべきであるという決議をし、その属する住民の数は全国民の七三・三%に及んでいることは事実であります。
 そういう意味で、いろいろな考え方があるのは、民主国家ですから当然の話であります。しかし、賛成、反対の議論をこういう場で展開をし、そして国民の方々によくこれを聞いていただいてどちらにすべきか判断をしていただくべきものであって、いたずらに国会外でいろいろなことを言って賛否をすべきではない。私どもは、正々堂々、時間のある限り審議を尽くして成立を期してまいりたい、このように心から思っております。
北橋議員 被選挙権を今回除外している理由は何かということでございますが、私どもは、現在、被選挙権をこれに含めるということは憲法違反だと断定する立場には立っておりません。しかしながら、委員御指摘のように、現在の憲法学界の学説等の変遷等を振り返るときに、大変厳しいものがあるのではないかという議論も十分承知をいたしております。
 この点につきましては、ぜひとも今回この議員立法を成立させていただきまして、国民世論のコンセンサスを得ながら一歩一歩着実に進める中で、裁判所の考え方あるいは憲法学界の考え方もまた柔軟に変わる可能性もあると思っておりまして、現在は慎重な立場をとっておりますが、憲法違反だと決めつけるわけではございません。
玄葉委員 冬柴先生は公明党の幹事長であります。この法案、今国会で成立させますか、どうですか。
冬柴議員 それは、挙げて委員会で審議をされ、つかさつかさで判断されることであります。したがいまして、この委員会で何とぞ採決をいただき、そして本会議採決をしていただき、参議院でも同様にしていただいて成立を期してまいりたい、このように思っております。
中野(寛)議員 精いっぱい努力をいたしたいと思います。
玄葉委員 終わります。
自見委員長 塩田晋君。
塩田委員 自由党の塩田晋でございます。
 永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権等の付与に関する法律案についてお尋ねいたします。
 冬柴議員と北橋議員が代表して提案されておりますが、ちなみに、与党案、野党案ということで略称させていただきたいと思います。
 この法案をこの国会でぜひとも速やかに採決をして可決成立を求めたいということが提案理由の締めくくりにございました。なぜこの時期に急がなければならないのかという理由について、それぞれの側から御説明をいただきたいと思います。特に、冬柴議員の関係の文書を見ますと、今世紀中に起こったものは今世紀中に片づけなければならぬ、こういうことを言われた文書も見ておりますが、それはどういう根拠であるか、お伺いいたします。
冬柴議員 一九一〇年、日韓併合条約によって、我が国が朝鮮半島を約三十六年間にわたって植民地経営したことは歴史的事実でございます。
 その間、朝鮮半島の人は、創氏改名等、例えば金という姓の方々には、もう一字をつけて日本人のような名前に変えることを強制されました。
 また、例えば関西では、大阪市生野区というところで、約十六万弱の人口がいられますが、そのうちの四万弱の人、すなわち四分の一は在日韓国・朝鮮人の方々です。これは、平野川の改修のために、大正時代、屈強な方々が韓半島から移住をされて、そしてこの治水工事に従事されたわけであります。私の選挙区にもたくさんの在日の方がいらっしゃいますけれども、国道一号線あるいは尼崎宝塚線という道路敷設工事に多くの方々が従事された歴史があります。
 そして、その人たちが飯場として定住したところが生野区でありまして、その人たちが世代を重ねて、三十六年間のこの植民地経営の時代には、この方々は日本人にされていたわけであります。したがって、徴兵義務を負い、戦争に行き、戦死した人、そして傷病した人があります。
 また、この人たちは日本人ですから、選挙権も持っていたわけであります。被選挙権もあった。先ほども申しましたけれども、昭和七年と十一年の選挙で、朴春琴という人は二回、衆議院議員に東京選出で当選しているという事実もあります。
 そういう人たちが、意思も確かめられずに、講和条約、すなわちサンフランシスコ条約発効とともに、日本でずっと住み続ける意思があるにかかわらず、意思も確認せずに国籍離脱の扱いを受けたということは、これは歴史的事実ではないでしょうか。
 こういう事実にかんがみまして、二十世紀は、国連憲章にありますように、二度までも人類に耐えがたい支配を与えた戦争の世紀だったわけであります。そういう問題は二十世紀中に片づける、あと五十何日しかありません、片づける。そして、二十一世紀は、将来志向で、一衣帯水の二千年の歴史を持つこの国が友好を重ねていくということが大切じゃないでしょうか。
 そういう意味で、ほかの外国人とは違って、朝鮮半島の人あるいは台湾、今中国ですけれども、その地域、我々が植民地経営したところの人々に対して、このような問題を早く解決すべきであろう、私はそのように信じているわけでございます。
中野(寛)議員 お時間の都合もありますから、簡単にお答えをいたします。
 この法案を最初に提出をいたしましてから既に丸二年たちます。そして国会審議も、前々国会でも審議をしていただいておりますが、我々といたしましては、二年たったその過程の中で、かなりの時間言うならばつるされてきた時間も考え合わせますと、こうして審議入りしたこと、そしてまたその審議の過程の中にあって、ぜひとも今国会で成立をさせたいなという我々の熱意をそのような表現で申し上げているということを御理解いただきたいと思います。
塩田委員 それぞれお伺いしたところでございますけれども、どうしても二十世紀のうちにやらなければならないという格別の根拠は、私は回答を得られなかったと思います。
 また、先ほどの議論の中でも相互主義というお話がありましたが、韓国においてもそのような法整備をしようという動きがあるということでございますが、それとの関係はあるのでしょうか、ないのでしょうか。冬柴議員にお伺いします。
冬柴議員 先ほどもお答えいたしましたが、相互主義というのはすぐれて国家の立法作用の内容をなすものでありまして、現時点におきまして、このような重い歴史を担う我々、そして生活実態も我々と変わらない人々に地方の住民として身近な公共事務にその意思を反映していただく、これは必要だというふうにかたく私思っているわけでございます。そういう意味で、これが何か早過ぎる、拙速に過ぎるような言い方をされますが、提案したのは平成十年十月六日に提案していまして、二回廃案になっていますよ。そして、三回目の趣旨説明を私させていただいている。そういうことを考えれば、その間ずっとつるされているんじゃないでしょうか。議員立法はこういうことではいけないと思います。私は、この国会で粛々と審議を進めることを国会議員の一人として切に望むものでございます。
塩田委員 先ほどお話がありました歴史認識につきましては、これは議論すれば時間が幾らあっても足らないぐらいだと思います。
 それはそれといたしまして、今は、先ほど来ありましたように世界がボーダーレスになり、そしてグローバルな、そして民主主義がどんどん進展している、そして個人の生活、地球に住む人類の生活者としての一体感、そういう方向にどんどん行っていることはわかるんですが、その中で我が国が今のような御提案の法案をつくることが、そういう大きな流れの中での日本として一歩踏み出す、普通の国になるためには必要なんだ、あるいは他の国とのつき合いではこの法律が必要なんだ、そういう御認識でしょうか。お伺いします。
冬柴議員 御指摘のとおりの認識でございます。
塩田委員 この問題は非常に重大な問題でございます。国の根本、基本にかかわる問題であるということですね。そして、これが国民も中身がわかればわかるほど、いや、それは大変だという声がほうはいとして沸き上がってきて我々の耳に達するわけでございます。
 粛々と、これはいいんですが、やはり徹底的に、憲法問題から先ほど北橋議員が言われました最高裁の判例、これも含めて徹底的に、憲法十五条の「国民」と九十三条の「住民」、それは先ほど冬柴議員も、九十三条の「住民」というのは国民たる住民だということをはっきり言われました、私はその回答も得たかったのでございますが、そのようにはっきり言われましたが、この国民と住民との関係、これはいろいろな判例等も含めて徹底的に追及しないと、国の本当に根幹、主権にかかわる問題だと思います。そう粛々と早急にこの国会で上げるべき問題かどうか、私はまだまだ疑問に思います。
 徹底的にこれは議論をしたい、審議をしなければならない問題だと思いますが、時間が参りましたので、次回に移したいと思います。
自見委員長 児玉健次君。
児玉委員 日本共産党の児玉健次です。
 一九九八年十月八日の日韓共同宣言、言うまでもなく小渕前首相と金大中大統領によるものです。この日韓共同宣言が出された日、私たちの国会で金大中大統領の演説がありました。趣旨説明の中で引用もされていて、懐かしく拝見いたしました。その日韓共同宣言において、「両首脳は、」両首脳というのは小渕前総理と韓国の大統領です。「両首脳は、在日韓国人が、日韓両国国民の相互交流・相互理解のための懸け橋としての役割を担い得るとの認識に立ち、その地位の向上のため、引き続き両国間の協議を継続していくことで意見の一致をみた。」これは明らかに政府と政府との間の意見の一致ですね。
 そして昨年の三月二十日、小渕前首相が韓国に行かれて大統領とお会いになった。その後の記者会見で首相はこう述べている。「在日韓国人など定住外国人の地方参政権問題については、韓国側の関心の大きさは十分理解する。自民党で検討しているが、一歩突っ込んだ形で真剣に検討したい。」「一歩突っ込んだ形で真剣に検討したい」、こういうふうに表明されたと報道されています。
 ところが、実際はどうだろうか。自民党の中では、ことしの五月に参政権付与に反対する与謝野見解、産経の九月三十日号に載って拝見しました。これがまとめられ、そして参政権付与に反対する議員連盟もつくられている。日韓共同声明から既に二年以上の年月が経過しました。森内閣はこの問題の実現のためにどのような努力をしているか。今度の臨時国会冒頭の所信表明演説で森首相は、永住外国人に対する地方選挙権の付与についても国会で御議論を進めていただきたい、これではまるで他人事ですね。この問題で政府と自民党の責任が厳しく問われていると私は考えます。
 この点について、両案の提出者それぞれお一人から端的にお考えを伺いたい。よろしくお願いします。
冬柴議員 党それぞれにいろいろな議論がある。それが民主主義国家の特徴でもあるし、結構なことだと思います。しかし、我々はそのように外国との約束、あるいは我々の平成十一年十月四日の連立合意の中にも、これは成立させるという公党間の約束があります。したがいまして、今誠実にその成立を求めているわけでございまして、現にこの狭隘な日程の中でもこのように連日この委員会が開かれ、そして皆が努力しているというふうに私は思っております。また、政府も努力をされるべきであろうというふうにかたく信じています。
中野(寛)議員 お答えいたします。
 両国首脳間における約束、しかもそれは明らかに前向きに検討することが約されているということを考えますと、このことについての前向きの真剣な議論とその成果がなければ、国際間の信用にかかわることだというふうにも思っておりまして、政府の責任は極めて重大だというふうに考えております。
児玉委員 私は、この問題というのは、すぐれて日本社会の内発の問題でもあるだろうと考えています。
 その立場から伺いますが、九八年十月に民主、公明案が出されました。そして日本共産党は、同年十二月に、選挙権、被選挙権を一体として付与する法案を提出しました。その後、さまざまな議論が展開されてきた。
 自民党内の議論を見てみますと、それでも参政権を得たいのなら母国とのきずなを絶って帰化していただきたい、これは私のいる北海道の、北海道新聞の十月八日に出ていた議員の方の発言ですね。こういう議論がある。これは、すべての外国の方々がそれぞれ祖国を持っていらっしゃるということを無視して、そのアイデンティティーを捨てろ、そして日本に同化せよと迫る、非常に乱暴な議論だと私は考えます。そして一方で、特別永住者に限って保障しようとする考えもあります。これでは参政権保障の問題が、戦後補償の問題へと性格を変化させてしまいます。
 外国人地方参政権の筋道は、地域住民の平等待遇の実現、地方自治体の運営は本来その地域に在住するすべての住民の意思と参加によって進められるべきだという地方自治の本旨に基づいて考えられるべきで、文字どおり日本社会内部の問題です。そして外国人の参政権保障は、外国人に対する排除的な構造を改めるという意味で、日本社会の今直面している重要な課題ですね。二十一世紀の我が国の民主主義の発展を展望するとき、そういった観点で永住外国人の参政権をどのように保障するか、これは我が国民主主義の成熟の度合いを正確に示すバロメーターだと私は考えます。
 この点について、お二方から端的にお考えを聞きたい。
冬柴議員 児玉先生とは、党は違いますけれども、今言われた限りにおきましては全く同感でございます。
中野(寛)議員 お答えをいたします。
 我々としては、決して国家をおろそかにするものではありませんが、あくまでも地方分権の中、地方自治、住民自治の形の中で、同じ住民としての役割、責任と義務が負担されることは望ましいことだと考えております。
児玉委員 日本社会自身を、その内発の民主主義に向けてのエネルギーでこの問題を解決しなければならない、私たちはそう考えています。そして、今提出者お二方から、基本的に同じ考えというお答えをいただきました。
 そこで、一歩進めたいのです。選挙権と被選挙権の問題です。
 スウェーデン、デンマーク、オランダなどの諸外国で、地方選挙において在住外国人の選挙権、被選挙権を付与していることは周知の事柄です。私たちは、選挙権と被選挙権は本来一体のものだと考えています。もし被選挙権と選挙権の間に年齢の差があるとすれば、それは人間形成の成熟の度合いからくる配慮であって、それ以上のものではないと考えます。
 日本共産党の法案では、選挙権、被選挙権をともに付与する内容としております。この問題について、将来への課題、将来への展望も含めて両提案者からお考えを聞きたいと思います。
冬柴議員 私どもは、理論的には被選挙権の付与も可能だ、地方に限ってですよ、そのように考えていることはさっきから述べたとおりではありますが、あえてこれは早期成立を期するということが一つでありますが、理論的にも、学説の中には被選挙権を与えることについて疑念を呈する学説もございます。
 それから、しばしば援用されます平成七年二月二十八日の第三小法廷判決も、これはその争点がそうだったからかもわかりませんけれども、その意思を反映するために、地方公共団体の長及び議員の選挙権を法律によって付与することは、憲法の禁ずるところではないと解するを相当とする、このように判示しているわけでありまして、そこには被選挙権は論及されていません。そういうことも私どもは一つの考慮の取っかかりとして、今回は選挙権だけにとどめたということが事実でございます。
 それから、選挙権と被選挙権は参政権と一くくりに言われますが、これは講学上の用語でありまして、選挙権と被選挙権は、先ほど言われたように、衆議院と参議院でも被選挙権については年齢の差もありますし、これは私は別々のものと考えていいという考え方をとっております。
中野(寛)議員 お答えをいたします。
 選挙権と被選挙権の要件が必ずしも一致しなければならないとは考えておりませんで、先ほども申し上げたと思いますが、議員の場合はその地域の住民でなければなりませんが、知事とか市町村長は、必ずしもその県、その市町村に住んでいなくとも立候補ができるというふうに、立法政策上も分かれております。
 現在、我々としては区分けができるという前提で、国民の皆さんの感覚、感情も、そしてまた国会の情勢も考え合わせながら、投票権、いわゆる選挙権に限った提案を今回はさせていただいている、こういうことでございます。
児玉委員 それでは、この議論はまた継続してお伺いしたいと思います。
自見委員長 北川れん子君。
北川委員 社民党・市民連合の北川れん子といいます。よろしくお願いいたします。
 私の方は、女性は一九四〇年代は参政権からは排除、差別されていた性を持っていた者としてこの議論に臨みたいと思っておりますし、また、十年前、この問題が日本人社会に問題として提案されたときには、今回の永住外国人という言葉ではなくて、定住外国人という定義での議論であったということを思い返しながら、今回、外国籍の方々への参政権の序幕であるという立場で質問をさせていただきたいと思います。
 それで、今、憲法違反じゃないかというところの集約が憲法十五条第一項ですね。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」今、憲法違反のところで述べられるときにこの一項が引用されるというふうに聞いているのですが、ことしの十月二十九日のサンデー毎日にこの外国人参政権問題が取り上げられ、「国民固有の権利」の解釈の仕方ということが出ていたと思いますので、各提案者の方にこの件でお伺いをしていきたいと思います。
 この議論が、一九五三年ですから、昭和二十八年三月の時点だったというふうに聞いておりますが、これが任免関係質疑応答集というところで、当時の人事院任用局の高辻正巳部長という方のお答えの中にこの解釈が、その「固有の権利」というのは奪うべからざる権利の意味に解するのが正しく、一般に外国人に対して公務員を選定する権利が認められないのは、直接本条から引き出される結論ではないというふうになっておりますね。
 そこで、皆様方にお伺いしたいのです。選挙権、今回は永住外国人の方の参政権問題ですが、憲法問題はこのように解釈の問題でクリアをされていると思うのですが、提案者の皆様はこの点をどういうふうにお受けとめになっているかということをまずお伺いしたいと思います。
冬柴議員 憲法問題につきましては、やはり参政権というのは国家の存在が前提になります。したがいまして、国家というのは、領域と国民とそしてその統治機構、政府、この三者が要件になっております。
 したがいまして、この統治の源泉である主権者がだれかということは、その国によって、あるときは、戦前は天皇が主権者でありましたけれども、新憲法では、天皇を象徴として定めたのは、主権の存する国民の総意に基づくと第一条に書かれています。したがいまして、主権者は国民であります。国民が立法府を構成し、したがって、国権の最高機関である国会がつくられるわけであります。
 そういう国政レベルの選挙権につきましては、先ほど委員が読み上げられました憲法第十五条一項の、公務員を選定しまたは罷免することは国民固有の権利であるというところにつながるわけでございまして、私は、その観点から、国政レベルの選挙権及び被選挙権については、これは日本国民に限られるべきである、このように思います。しかし、その英訳では譲るべからざる権利ということだということの答弁があったことも事実でございます。
 したがって、国のレベルはそうでございますけれども、地方は、旧憲法では規定のなかった第八章「地方自治」というものが改めてつくられまして、そこにおいて、先ほど来何回も言っておりますけれども、国の統治機構の一環ではあるけれども、しかしながら、国と対等、平等の関係にある地方公共団体というものの団体自治を認め、そしてまた、そこに住む住民自治を認めるという画期的なものが新憲法には盛り込まれているわけでございます。
 したがいまして、その「住民」をどうとらえるかということに尽きてくるわけでございますけれども、この「住民」は、私は、もうるる説明は避けますけれども、日本国民たる住民を憲法上は保障している。しかしながら、これに対して、立法政策として国会が、日本国民と生活実態において変わりのない定住者、最初、定住者というのと通過外国人と分けるために定住者と申しましたけれども、今永住権を持っている人、そういう人たちには当然に与えていいんではないか、こういう考えでございます。
 そのような考えに基づいて私はこの法案を起草したわけでありますし、そしてまた提案をしているわけでございます。
北橋議員 まず、最高裁の判決にもありますように、九十三条二項の「住民」の中に永住外国人は含まれているとは私ども考えておりません。この法案によって永住外国人に付与しようとする地方参政権というのは、憲法上の本条によるものではなく、立法政策上の認識として、法律上新たに与えられる権利だと考えております。
 先ほど、憲法十五条一項で、国民固有の権利との関連で御指摘がございましたが、これを、一部の学者の方には、国民だけが持っているんだ、日本人、国民に特有の権利だ、そういう理解を主張される方もおりますが、私どもは、基本的に、そう解釈すべきではなくて、国民が当然に持っている権利というふうに理解をしております。
 その根拠は、まず第一に、本条が、明治憲法とは異なりまして、国民主権の原理に基づき、あらゆる公務員の終局的な任免権が国民の側にあるということを表明するための規定であると考えております。第二には、日本国憲法の英訳がイネーリアナブルライト、すなわち、譲渡できない、譲り渡すことのできない権利としている。
 このような解釈からいたしまして、私どもは、法律上与えられた権利として地方選挙権を付与することは憲法に違反するものではないと考えております。平成七年の憲法の判示は大変に重みのある画期的な判決だと確信を持っております。
北川委員 冬柴提案者からは、憲法十五条一項に対しての見解というのを述べる前の部分の方が長くてちょっと残念だったなという感じがするんですが、今、憲法違反だと言う人の、一応集約されていくところは憲法十五条の一項の解釈の仕方だろうと思いますので、ここはすごく大事だと思いますが、一九五三年の高辻正巳部長のおっしゃったこの見解の文書をぜひ出していただきたい。本当にどういうふうに、この任免の本の中にはとりあえず解析、分析はしてあるんですが、どういうふうな形でそれを高辻部長というのが出したかということで、この文書のありかと、これを提出していただくということをお願いしたいと思うんですが、この件に関してはいかがでしょうか。
冬柴議員 次回提出させていただきます。
北川委員 では、次回を楽しみに待っていますので、ぜひよろしくお願いをいたしたいと思います。
 私は、先ほど、女性が参政権がない時代が長くて、差別と排除の時代を身をもって受けてきた、そういう歴史を持った者だというふうにお話をさせていただいたんですが、両提案者にお伺いいたします。
 外国人の皆様への地方参政権の意義ですね。もう一度、簡単なお言葉で結構なんですが、意義をどういうふうにお感じになっているか、そこのところをお伺いしたいと思います。
冬柴議員 地方のことは、そこに住む住民が自主的、自律的に決めるのが望ましい。
 それから、その住民の中には、日本国民たる住民だけではなしに、今後二十一世紀は、ますます運搬手段あるいは情報通信手段の発達している今日におきましては外国の方々もたくさん来られると思うんですが、そういう方々と共生していく上におきましても、一律に外国人と言っても全部同じではありません、濃淡はあります。非常に日本人に近い生活をしている人から、単に観光旅行に来る人までいっぱいありますけれども、そういう共生の社会を築いていく上においても、我々は、我々と生活実態において限りなく近い人々を、法律的に許される範囲で限りなく近い扱いをすべきだ、このように思っているわけでございます。
中野(寛)議員 お答えをいたします。
 同じ地方自治体の中でともに生活をしている住民としての立場から、永住外国人であれ日本人であれ、その生活者としての権利と義務をできるだけ幅広い形で享有をするということがこれからの日本の民主主義のバロメーターになるものだ、そう考えて御提案をいたしております。
北川委員 どうもありがとうございました。
自見委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後三時四十八分散会

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